辛泰浩

海纳百川,取他人长高求成长;
刚自无欲,走自已道尔符正道。
知之者不如好之者;好之者不如乐之者。
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令和违和奈若何(1)元号

(2022-02-10 20:43:59) 下一个

    令和违和奈若何
    多数日本人说:“令和是最恶(坏)時代,進入令和凶悪事件多,日本不況(景气)与格差(贫富悬殊)的結果”。
    日本右翼政客石原慎太郎于2月1日去世。日本首相岸田文雄于5日上午访问石原私宅为其哀悼,被日媒集中报道。有日本网民评论称:“现任领导人登门哀悼极右歧视主义者,会发生这种事的国家,也只有日本了吧。”透露出 违和感。
    日本网络批评的焦点集中在“现任首相去哀悼极右翼种族主义者”上。石原因各种争议性言论被批评。例如,2001年石原曾发表言论称:“文明带来的最有害的事物就是‘老太婆’…….没有生殖能力的女性活到老年对地球就是恶害”等,被女性团体告上法庭,而2011年东日本大地震之际,时任东京都知事的石原竟然称地震是“天罚”,“将海啸善加利用,洗濯日本人心中的污垢”等,引发争议。石原类似的例子还有不少。在中国,石原慎太郎也因曾掀“购买”钓鱼岛闹剧被一些网民了解。上世纪70年代,他曾与其他右翼势力一起组建右翼政治团体“青岚会”,反对中日邦交正常化。此外,2012年春天,石原抛出东京都购买钓鱼岛及其附属岛屿计划并进行募捐,此后日本政府决定将其“国有化”,导致日中关系恶化。在日本右翼反华的小圈子中,石原慎太郎受到追捧。路透社在报道其死亡的消息时,将石原称为“狂热的民族主义者”。

    日本已进入“令和”的第四个年头。从“令和”年号的开启以来一直不顺,诸策不利,国运渐衰。令和的始作俑者是保守派最鼎盛时期的政客。连任首相破历届首相在任期的安倍晋三是保守派的总代表。为了打造“美丽日本”形象处处挑战中国。当然世界第二经济大国的座次被中国取代,本来是“横路晋二”,跻身亚洲老大的经济大国,被“晋三”首相带入“按輩仅三”了,心实不甘,总希望与“老大”一起夹击“老二”再由“老三”返回第二。他推出的改造国力的“三支箭(三本之矢)”却箭箭虚发,针对中国之箭犹如曹营射向孔明的“草船”上,被巧好少地“借箭”了。
  为了抛弃中国传统文化影响连天皇禅位皇太子的“改元”上也大作文章。众所周知,日本的年号(元号)从有史记载的等一个大化(公元645年,中大兄皇子推行的天皇中心中央集权国)以来,所有年号都出自中国古典、古藉,千百年来从未更改这条规矩。没有规矩不成方圆,在日本祖先的智慧引导下一路走来。2019年在安倍为主导的首相官邸有识者的年号讨论专家组上刻意抛弃传统的规矩,有意从日本古藉《万叶集》中“摘取”其年号。“初春令月,气淑风和”是奈良初太宰府长官大伴旅人宅邸“梅花宴”上所咏的短诗(歌),“初春令月时,气淑风和祥。梅披镜前粉,蘭薰珮后香。”却也来自中国文人。
  安倍为首的右派总是对中国“哪壶不开提哪壶”,专打中国软肋牌。
  然而中国见招拆招,总象是被“戚继光”的戚家军打败的倭寇一样。进入令和,万事多磨,凶多吉少,岁月蹉跎。外交战急,亿走下坡。经路下滑,政途坎坷。家暴增长,事件频苛。灾害不断,人心违和。四方废宅,难寻乐窝。巴欧结米,自投网罗。心欲腾空,稳驾塘鹅……谁想令和,备受折磨。令和违和,奈尔若何!

  注:日本学界此前就认为“梅花诗卅二首并序”在构成和语句上,从王羲之《兰亭序》和王勃、骆宾王等初唐诗序中所学甚多。
  “初春令月,气淑风和”一句在中国作品中有类似表达。汉代张衡所写的《归田赋》中有“于是仲春令月,时和气清”。薛元超在唐高宗时期所写的《谏蕃官仗内射生疏》中有“时惟令月,景淑风和”的句子,这篇文章收录于《全唐文》。

  日本明治以后的元号天皇一代元号一个制(一世一元制)还没有中途更一换年号的先例。如果令和不顺,多事、倒是应该考虑换个年号以换回败势。也可中途更一换年号以避邪。年号最开始是由汉武帝发明的, 在中国一个朝代有多个皇帝,一个皇帝也可以更换多个年号。历史上汉武帝一直是使用年号最多的一位皇帝。后来武则天破了他的这项记录。汉武帝在位的五十多年里一共使用过十一个年号,而武则天使用的年号多达十七个。她曾经还在一年之内两次更换年号。

飛鳥時代        
漢字 始期 終期 期間 天皇
大化 皇極天皇4年6月19日 大化6年2月15日 6年 孝徳天皇
(645年7月17日) (650年3月22日)
白雉 大化6年2月15日 白雉5年10月10日 5年
(650年3月22日) (654年11月24日)
   
白雉5年10月10日 天武天皇15年7月20日 32年
(654年11月24日) (686年8月14日)
朱鳥 天武天皇15年7月20日 朱鳥元年9月9日 1年 天武天皇
(686年8月14日) (686年10月1日)
   
朱鳥元年9月9日 文武天皇5年3月21日 15年
(686年10月1日) (701年5月3日)
大宝 文武天皇5年3月21日 大宝4年5月10日 4年 文武天皇
(701年5月3日) (704年6月16日)
慶雲 大宝4年5月10日 慶雲5年1月11日 5年
(704年6月16日) (708年2月7日) 元明天皇
和銅 慶雲5年1月11日 和銅8年9月2日 8年
(708年2月7日) (715年10月3日)
         
奈良時代        
霊亀 和銅8年9月2日 霊亀3年11月17日 3年 元正天皇
(715年10月3日) (717年12月24日)
養老 霊亀3年11月17日 養老8年2月4日 8年
(717年12月24日) (724年3月3日)
神亀 養老8年2月4日 神亀6年8月5日 6年 聖武天皇
(724年3月3日) (729年9月2日)
天平 神亀6年8月5日 天平21年4月14日 21年
(729年9月2日) (749年5月4日)
天平感宝 天平21年4月14日 天平感宝元年7月2日 1年
(749年5月4日) (749年8月19日)
天平勝宝 天平感宝元年7月2日 天平勝宝9年8月18日 9年 孝謙天皇
(749年8月19日) (757年9月6日)
天平宝字 天平勝宝9年8月18日 天平宝字9年1月7日 9年
(757年9月6日) (765年2月1日) 淳仁天皇
    称徳天皇
天平神護 天平宝字9年1月7日 天平神護3年8月16日 3年
(765年2月1日) (767年9月13日)
神護景雲 天平神護3年8月16日 神護景雲4年10月1日 4年
(767年9月13日) (770年10月23日)
宝亀 神護景雲4年10月1日 宝亀12年1月1日 12年 光仁天皇
(770年10月23日) (781年1月30日)
天応 宝亀12年1月1日 天応2年8月19日 2年
(781年1月30日) (782年9月30日) 桓武天皇
延暦 天応2年8月19日 延暦25年5月18日 25年
(782年9月30日) (806年6月8日)
平安時代        
大同 延暦25年5月18日 大同5年9月19日 5年 平城天皇
(806年6月8日) (810年10月20日) 嵯峨天皇
弘仁 大同5年9月19日 弘仁15年1月5日 15年
(810年10月20日) (824年2月8日) 淳和天皇
天長 弘仁15年1月5日 天長11年1月3日 11年
(824年2月8日) (834年2月14日) 仁明天皇
承和 天長11年1月3日 承和15年6月13日 15年
(834年2月14日) (848年7月16日)
嘉祥 承和15年6月13日 嘉祥4年4月28日 4年
(848年7月16日) (851年6月1日) 文徳天皇
仁寿 嘉祥4年4月28日 仁寿4年11月30日 4年
(851年6月1日) (854年12月23日)
斉衡 仁寿4年11月30日 斉衡4年2月21日 4年
(854年12月23日) (857年3月20日)
天安 斉衡4年2月21日 天安3年4月15日 3年
(857年3月20日) (859年5月20日) 清和天皇
貞観 天安3年4月15日 貞観19年4月16日 19年
(859年5月20日) (877年6月1日) 陽成天皇
元慶 貞観19年4月16日 元慶9年2月21日 9年
(877年6月1日) (885年3月11日) 光孝天皇
仁和 元慶9年2月21日 仁和5年4月27日 5年
(885年3月11日) (889年5月30日) 宇多天皇
寛平 仁和5年4月27日 寛平10年4月26日 10年
(889年5月30日) (898年5月20日)[注釈 3]
    醍醐天皇
昌泰 寛平10年4月26日 昌泰4年7月15日 4年
(898年5月20日)[注釈 3] (901年8月31日)
延喜 昌泰4年7月15日 延喜23年閏4月11日 23年
(901年8月31日) (923年5月29日)
延長 延喜23年閏4月11日 延長9年4月26日 9年
(923年5月29日) (931年5月16日) 朱雀天皇
承平 延長9年4月26日 承平8年5月22日 8年
(931年5月16日) (938年6月22日)
天慶 承平8年5月22日 天慶10年4月22日 10年
(938年6月22日) (947年5月15日) 村上天皇
天暦 天慶10年4月22日 天暦11年10月27日 11年
(947年5月15日) (957年11月21日)
天徳 天暦11年10月27日 天徳5年2月16日 5年
(957年11月21日) (961年3月5日)
応和 天徳5年2月16日 応和4年7月10日 4年
(961年3月5日) (964年8月19日)
康保 応和4年7月10日 康保5年8月13日 5年
(964年8月19日) (968年9月8日) 冷泉天皇
安和 康保5年8月13日 安和3年3月25日 3年
(968年9月8日) (970年5月3日) 円融天皇
天禄 安和3年3月25日 天禄4年12月20日 4年
(970年5月3日) (974年1月16日)
天延 天禄4年12月20日 天延4年7月13日 4年
(974年1月16日) (976年8月11日)
貞元 天延4年7月13日 貞元3年11月29日 3年
(976年8月11日) (978年12月31日)
天元 貞元3年11月29日 天元6年4月15日 6年
(978年12月31日) (983年5月29日)
永観 天元6年4月15日 永観3年4月27日 3年
(983年5月29日) (985年5月19日) 花山天皇
寛和 永観3年4月27日 寛和3年4月5日 3年
(985年5月19日) (987年5月5日) 一条天皇
永延 寛和3年4月5日 永延3年8月8日 3年
(987年5月5日) (989年9月10日)
永祚 永延3年8月8日 永祚2年11月7日 2年
(989年9月10日) (990年11月26日)
正暦 永祚2年11月7日 正暦6年2月22日 6年
(990年11月26日) (995年3月25日)
長徳 正暦6年2月22日 長徳5年1月13日 5年
(995年3月25日) (999年2月1日)
長保 長徳5年1月13日 長保6年7月20日 6年
(999年2月1日) (1004年8月8日)
寛弘 長保6年7月20日 寛弘9年12月25日 9年
(1004年8月8日) (1013年2月8日) 三条天皇
長和 寛弘9年12月25日 長和6年4月23日 6年
(1013年2月8日) (1017年5月21日) 後一条天皇
寛仁 長和6年4月23日 寛仁5年2月2日 5年
(1017年5月21日) (1021年3月17日)
治安 寛仁5年2月2日 治安4年7月13日 4年
(1021年3月17日) (1024年8月19日)
万寿 治安4年7月13日 万寿5年7月25日 5年
(1024年8月19日) (1028年8月18日)
長元 万寿5年7月25日 長元10年4月21日 10年
(1028年8月18日) (1037年5月9日) 後朱雀天皇
長暦 長元10年4月21日 長暦4年11月10日 4年
(1037年5月9日) (1040年12月16日)
長久 長暦4年11月10日 長久5年11月24日 5年
(1040年12月16日) (1044年12月16日)
寛徳 長久5年11月24日 寛徳3年4月14日 3年
(1044年12月16日) (1046年5月22日) 後冷泉天皇
永承 寛徳3年4月14日 永承8年1月11日 8年
(1046年5月22日) (1053年2月2日)
天喜 永承8年1月11日 天喜6年8月29日 6年
(1053年2月2日) (1058年9月19日)
康平 天喜6年8月29日 康平8年8月2日 8年
(1058年9月19日) (1065年9月4日)
治暦 康平8年8月2日 治暦5年4月13日 5年
(1065年9月4日) (1069年5月6日) 後三条天皇
延久 治暦5年4月13日 延久6年8月23日 6年
(1069年5月6日) (1074年9月16日) 白河天皇
承保 延久6年8月23日 承保4年11月17日 4年
(1074年9月16日) (1077年12月5日)
承暦 承保4年11月17日 承暦5年2月10日 5年
(1077年12月5日) (1081年3月22日)
永保 承暦5年2月10日 永保4年2月7日 4年
(1081年3月22日) (1084年3月15日)
応徳 永保4年2月7日 応徳4年4月7日 4年
(1084年3月15日) (1087年5月11日) 堀河天皇
寛治 応徳4年4月7日 寛治8年12月15日 8年
(1087年5月11日) (1095年1月23日)
嘉保 寛治8年12月15日 嘉保3年12月17日 3年
(1095年1月23日) (1097年1月3日)
永長 嘉保3年12月17日 永長2年11月21日 2年
(1097年1月3日) (1097年12月27日)
承徳 永長2年11月21日 承徳3年8月28日 3年
(1097年12月27日) (1099年9月15日)
康和 承徳3年8月28日 康和6年2月10日 6年
(1099年9月15日) (1104年3月8日)
長治 康和6年2月10日 長治3年4月9日 3年
(1104年3月8日) (1106年5月13日)
嘉承 長治3年4月9日 嘉承3年8月3日 3年
(1106年5月13日) (1108年9月9日) 鳥羽天皇
天仁 嘉承3年8月3日 天仁3年7月13日 3年
(1108年9月9日) (1110年7月31日)
天永 天仁3年7月13日 天永4年7月13日 4年
(1110年7月31日) (1113年8月25日)
永久 天永4年7月13日 永久6年4月3日 6年
(1113年8月25日) (1118年4月25日)
元永 永久6年4月3日 元永3年4月10日 3年
(1118年4月25日) (1120年5月9日)
保安 元永3年4月10日 保安5年4月3日 5年
(1120年5月9日) (1124年5月18日) 崇徳天皇
天治 保安5年4月3日 天治3年1月22日 3年
(1124年5月18日) (1126年2月15日)
大治 天治3年1月22日 大治6年1月29日 6年
(1126年2月15日) (1131年2月28日)
天承 大治6年1月29日 天承2年8月11日 2年
(1131年2月28日) (1132年9月21日)
長承 天承2年8月11日 長承4年4月27日 4年
(1132年9月21日) (1135年6月10日)
保延 長承4年4月27日 保延7年7月10日 7年
(1135年6月10日) (1141年8月13日)
永治 保延7年7月10日 永治2年4月28日 2年
(1141年8月13日) (1142年5月25日) 近衛天皇
康治 永治2年4月28日 康治3年2月23日 3年
(1142年5月25日) (1144年3月28日)
天養 康治3年2月23日 天養2年7月22日 2年
(1144年3月28日) (1145年8月12日)
久安 天養2年7月22日 久安7年1月26日 7年
(1145年8月12日) (1151年2月14日)
仁平 久安7年1月26日 仁平4年10月28日 4年
(1151年2月14日) (1154年12月4日)
久寿 仁平4年10月28日 久寿3年4月27日 3年
(1154年12月4日) (1156年5月18日) 後白河天皇
保元 久寿3年4月27日 保元4年4月20日 4年
(1156年5月18日) (1159年5月9日) 二条天皇
平治 保元4年4月20日 平治2年1月10日 2年
(1159年5月9日) (1160年2月18日)
永暦 平治2年1月10日 永暦2年9月4日 2年
(1160年2月18日) (1161年9月24日)
応保 永暦2年9月4日 応保3年3月29日 3年
(1161年9月24日) (1163年5月4日)
長寛 応保3年3月29日 長寛3年6月5日 3年
(1163年5月4日) (1165年7月14日)
永万 長寛3年6月5日 永万2年8月27日 2年
(1165年7月14日) (1166年9月23日) 六条天皇
仁安 永万2年8月27日 仁安4年4月8日 4年
(1166年9月23日) (1169年5月6日) 高倉天皇
嘉応 仁安4年4月8日 嘉応3年4月21日 3年
(1169年5月6日) (1171年5月27日)
承安 嘉応3年4月21日 承安5年7月28日 5年
(1171年5月27日) (1175年8月16日)
安元 承安5年7月28日 安元3年8月4日 3年
(1175年8月16日) (1177年8月29日)
治承 安元3年8月4日 治承5年7月14日 5年
(1177年8月29日) (1181年8月25日) 安徳天皇
養和 治承5年7月14日 養和2年5月27日 2年
(1181年8月25日) (1182年6月29日)
寿永 養和2年5月27日 寿永3年4月16日 3年
(1182年6月29日) (1184年5月27日) 後鳥羽天皇
元暦 寿永3年4月16日 元暦2年8月14日 2年
(1184年5月27日) (1185年9月9日)
鎌倉時代        
文治 元暦2年8月14日 文治6年4月11日 6年 後鳥羽天皇
(1185年9月9日) (1190年5月16日)
建久 文治6年4月11日 建久10年4月27日 10年
(1190年5月16日) (1199年5月23日) 土御門天皇
正治 建久10年4月27日 正治3年2月13日 3年
(1199年5月23日) (1201年3月19日)
建仁 正治3年2月13日 建仁4年2月20日 4年
(1201年3月19日) (1204年3月23日)
元久 建仁4年2月20日 元久3年4月27日 3年
(1204年3月23日) (1206年6月5日)
建永 元久3年4月27日 建永2年10月25日 2年
(1206年6月5日) (1207年11月16日)
   
承元 建永2年10月25日 承元5年3月9日 5年
(1207年11月16日) (1211年4月23日)
    順徳天皇
建暦 承元5年3月9日 建暦3年12月6日 3年
(1211年4月23日) (1214年1月18日)
建保 建暦3年12月6日 建保7年4月12日 7年
(1214年1月18日) (1219年5月27日)
承久 建保7年4月12日 承久4年4月13日 4年
(1219年5月27日) (1222年5月25日) 仲恭天皇
    後堀河天皇
貞応 承久4年4月13日 貞応3年11月20日 3年
(1222年5月25日) (1224年12月31日)
元仁 貞応3年11月20日 元仁2年4月20日 2年
(1224年12月31日) (1225年5月28日)
嘉禄 元仁2年4月20日 嘉禄3年12月10日 3年
(1225年5月28日) (1228年1月18日)
安貞 嘉禄3年12月10日 安貞3年3月5日 3年
(1228年1月18日) (1229年3月31日)
寛喜 安貞3年3月5日 寛喜4年4月2日 4年
(1229年3月31日) (1232年4月23日)
貞永 寛喜4年4月2日 貞永2年4月15日 2年
(1232年4月23日) (1233年5月25日) 四条天皇
天福 貞永2年4月15日 天福2年11月5日 2年
(1233年5月25日) (1234年11月27日)
文暦 天福2年11月5日 文暦2年9月19日 2年
(1234年11月27日) (1235年11月1日)
嘉禎 文暦2年9月19日 嘉禎4年11月23日 4年
(1235年11月1日) (1238年12月30日)
暦仁 嘉禎4年11月23日 暦仁2年2月7日 2年
(1238年12月30日) (1239年3月13日)
延応 暦仁2年2月7日 延応2年7月16日 2年
(1239年3月13日) (1240年8月5日)
仁治 延応2年7月16日 仁治4年2月26日 4年
(1240年8月5日) (1243年3月18日) 後嵯峨天皇
寛元 仁治4年2月26日 寛元5年2月28日 5年
(1243年3月18日) (1247年4月5日) 後深草天皇
宝治 寛元5年2月28日 宝治3年3月18日 3年
(1247年4月5日) (1249年5月2日)
建長 宝治3年3月18日 建長8年10月5日 8年
(1249年5月2日) (1256年10月24日)
康元 建長8年10月5日 康元2年3月14日 2年
(1256年10月24日) (1257年3月31日)
正嘉 康元2年3月14日 正嘉3年3月26日 3年
(1257年3月31日) (1259年4月20日)
正元 正嘉3年3月26日 正元2年4月13日 2年
(1259年4月20日) (1260年5月24日) 亀山天皇
文応 正元2年4月13日 文応2年2月20日 2年
(1260年5月24日) (1261年3月22日)
弘長 文応2年2月20日 弘長4年2月28日 4年
(1261年3月22日) (1264年3月27日)
文永 弘長4年2月28日 文永12年4月25日 12年
(1264年3月27日) (1275年5月22日) 後宇多天皇
建治 文永12年4月25日 建治4年2月29日 4年
(1275年5月22日) (1278年3月23日)
弘安 建治4年2月29日 弘安11年4月28日 11年
(1278年3月23日) (1288年5月29日) 伏見天皇
正応 弘安11年4月28日 正応6年8月5日 6年
(1288年5月29日) (1293年9月6日)
永仁 正応6年8月5日 永仁7年4月25日 7年
(1293年9月6日) (1299年5月25日) 後伏見天皇
正安 永仁7年4月25日 正安4年11月21日 4年
(1299年5月25日) (1302年12月10日) 後二条天皇
乾元 正安4年11月21日 乾元2年8月5日 2年
(1302年12月10日) (1303年9月16日)
嘉元 乾元2年8月5日 嘉元4年12月14日 4年
(1303年9月16日) (1307年1月18日)
徳治 嘉元4年12月14日 徳治3年10月9日 3年
(1307年1月18日) (1308年11月22日) 花園天皇
延慶 徳治3年10月9日 延慶4年4月28日 4年
(1308年11月22日) (1311年5月17日)
応長 延慶4年4月28日 応長2年3月20日 2年
(1311年5月17日) (1312年4月27日)
正和 応長2年3月20日 正和6年2月3日 6年
(1312年4月27日) (1317年3月16日)
文保 正和6年2月3日 文保3年4月28日 3年
(1317年3月16日) (1319年5月18日) 後醍醐天皇
元応 文保3年4月28日 元応3年2月23日 3年
(1319年5月18日) (1321年3月22日)
元亨 元応3年2月23日 元亨4年12月9日 4年
(1321年3月22日) (1324年12月25日)
正中 元亨4年12月9日 正中3年4月26日 3年
(1324年12月25日) (1326年5月28日)
嘉暦 正中3年4月26日 嘉暦4年8月29日 4年
(1326年5月28日) (1329年9月22日)
元徳 嘉暦4年8月29日 大覚寺統:元徳3年8月9日 大覚寺統:3年
(1329年9月22日) (1331年9月11日) 持明院統:4年
  持明院統:元徳4年4月28日  
  (1332年5月23日)  
大覚寺統        
元弘 元徳3年8月9日 元弘4年1月29日 4年 後醍醐天皇
(1331年9月11日) (1334年3月5日)
持明院統        
正慶 元徳4年4月28日 正慶2年5月25日 2年 光厳天皇
(1332年5月23日) (1333年7月7日)
配流先の隠岐から帰京した後醍醐天皇は、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言。天皇親政を始めた後醍醐天皇は、「建武」に改元する(建武の新政)。
         
南北朝時代?室町時代        
建武 元弘4年1月29日 南朝:建武3年2月29日 南朝:3年 後醍醐天皇
(1334年3月5日) (1336年4月11日) 北朝:5年
  北朝:建武5年8月28日  
  (1338年10月11日)  
南朝(大覚寺統)        
延元 建武3年2月29日 延元5年4月28日 5年 後醍醐天皇
(1336年4月11日) (1340年5月25日) 後村上天皇
興国 延元5年4月28日 興国7年12月8日 7年
(1340年5月25日) (1347年1月20日)
正平 興国7年12月8日[注釈 4] 正平25年7月24日 25年
(1347年1月20日) (1370年8月16日) 長慶天皇
建徳 正平25年7月24日[注釈 5] 建徳3年4月 3年
(1370年8月16日) (1372年5月)
文中 建徳3年4月[注釈 6] 文中4年5月27日 4年
(1372年5月) (1375年6月26日)
天授 文中4年5月27日[注釈 7] 天授7年2月10日 7年
(1375年6月26日) (1381年3月6日)
弘和 天授7年2月10日[注釈 8] 弘和4年4月28日 4年
(1381年3月6日) (1384年5月18日) 後亀山天皇
元中 弘和4年4月28日 元中9年閏10月5日 9年
(1384年5月18日) (1392年11月19日)
北朝(持明院統)        
暦応 建武5年8月28日 暦応5年4月27日 5年 光明天皇
(1338年10月11日) (1342年6月1日)
康永 暦応5年4月27日 康永4年10月21日 4年
(1342年6月1日) (1345年11月15日)
貞和 康永4年10月21日 貞和6年2月27日 6年
(1345年11月15日) (1350年4月4日) 崇光天皇
観応 貞和6年2月27日 観応3年9月27日 3年
(1350年4月4日) (1352年11月4日)
文和 観応3年9月27日 文和5年3月28日 5年 後光厳天皇
(1352年11月4日) (1356年4月29日)
延文 文和5年3月28日 延文6年3月29日 6年
(1356年4月29日) (1361年5月4日)
康安 延文6年3月29日 康安2年9月23日 2年
(1361年5月4日) (1362年10月11日)
貞治 康安2年9月23日 貞治7年2月18日 7年
(1362年10月11日) (1368年3月7日)
応安 貞治7年2月18日 応安8年2月27日 8年
(1368年3月7日) (1375年3月29日) 後円融天皇
永和 応安8年2月27日 永和5年3月22日 5年
(1375年3月29日) (1379年4月9日)
康暦 永和5年3月22日 康暦3年2月24日 3年
(1379年4月9日) (1381年3月20日)
永徳 康暦3年2月24日 永徳4年2月27日 4年
(1381年3月20日) (1384年3月19日) 後小松天皇
至徳 永徳4年2月27日 至徳4年8月23日 4年
(1384年3月19日) (1387年10月5日)
嘉慶 至徳4年8月23日 嘉慶3年2月9日 3年
(1387年10月5日) (1389年3月7日)
康応 嘉慶3年2月9日 康応2年3月26日 2年
(1389年3月7日) (1390年4月12日)
明徳 康応2年3月26日 明徳5年7月5日 5年
(1390年4月12日) (1394年8月2日)
南北朝合一        
応永 明徳5年7月5日 応永35年4月27日 35年 後小松天皇
(1394年8月2日) (1428年6月10日) 称光天皇
正長 応永35年4月27日 正長2年9月5日 2年
(1428年6月10日) (1429年10月3日) 後花園天皇
永享 正長2年9月5日 永享13年2月17日 13年
(1429年10月3日) (1441年3月10日)
嘉吉 永享13年2月17日 嘉吉4年2月5日 4年
(1441年3月10日) (1444年2月23日)
文安 嘉吉4年2月5日 文安6年7月28日 6年
(1444年2月23日) (1449年8月16日)
宝徳 文安6年7月28日 宝徳4年7月25日 4年
(1449年8月16日) (1452年8月10日)
享徳 宝徳4年7月25日 享徳4年7月25日 4年
(1452年8月10日) (1455年9月6日)
康正 享徳4年7月25日 康正3年9月28日 3年
(1455年9月6日) (1457年10月16日)
長禄 康正3年9月28日 長禄4年12月21日 4年
(1457年10月16日) (1461年2月1日)
寛正 長禄4年12月21日 寛正7年2月28日 7年
(1461年2月1日) (1466年3月14日) 後土御門天皇
文正 寛正7年2月28日 文正2年3月5日 2年
(1466年3月14日) (1467年4月9日)
戦国時代        
応仁 文正2年3月5日 応仁3年4月28日 3年 後土御門天皇
(1467年4月9日) (1469年6月8日)
文明 応仁3年4月28日 文明19年7月20日 19年
(1469年6月8日) (1487年8月9日)
長享 文明19年7月20日 長享3年8月21日 3年
(1487年8月9日)[注釈 9] (1489年9月16日)
延徳 長享3年8月21日 延徳4年7月19日 4年
(1489年9月16日) (1492年8月12日)
明応 延徳4年7月19日 明応10年2月29日 10年
(1492年8月12日)[注釈 10] (1501年3月18日) 後柏原天皇
文亀 明応10年2月29日 文亀4年2月30日 4年
(1501年3月18日) (1504年3月16日)
永正 文亀4年2月30日 永正18年8月23日 18年
(1504年3月16日) (1521年9月23日)
大永 永正18年8月23日 大永8年8月20日 8年
(1521年9月23日) (1528年9月3日) 後奈良天皇
享禄 大永8年8月20日 享禄5年7月29日 5年
(1528年9月3日) (1532年8月29日)
天文 享禄5年7月29日 天文24年10月23日 24年
(1532年8月29日) (1555年11月7日)
弘治 天文24年10月23日 弘治4年2月28日 4年
(1555年11月7日) (1558年3月18日) 正親町天皇
永禄 弘治4年2月28日 永禄13年4月23日 13年
(1558年3月18日) (1570年5月27日)
元亀 永禄13年4月23日 元亀4年7月28日 4年
(1570年5月27日) (1573年8月25日)
         
安土桃山時代        
天正 元亀4年7月28日 天正20年12月8日 20年 正親町天皇
(1573年8月25日[注釈 11][注釈 2] (1593年1月10日[注釈 12][注釈 2] 後陽成天皇
文禄 天正20年12月8日 文禄5年10月27日 5年
(1593年1月10日) (1596年12月16日)
慶長 文禄5年10月27日 慶長20年7月13日 20年
(1596年12月16日) (1615年9月5日) 後水尾天皇
         
江戸時代        
         
元号名 期間 年数 天皇名
漢字 始期 終期
元和 慶長20年7月13日 元和10年2月30日 10年 後水尾天皇
(1615年9月5日) (1624年4月17日)
寛永 元和10年2月30日 寛永21年12月16日 21年
(1624年4月17日) (1645年1月13日) 明正天皇
    後光明天皇
正保 寛永21年12月16日 正保5年2月15日 5年
(1645年1月13日) (1648年4月7日)
慶安 正保5年2月15日 慶安5年9月18日 5年
(1648年4月7日) (1652年10月20日)
承応 慶安5年9月18日 承応4年4月13日 4年
(1652年10月20日) (1655年5月18日) 後西天皇
明暦 承応4年4月13日 明暦4年7月23日 4年
(1655年5月18日) (1658年8月21日)
万治 明暦4年7月23日 万治4年4月25日 4年
(1658年8月21日) (1661年5月23日)
寛文 万治4年4月25日 寛文13年9月21日 13年
(1661年5月23日) (1673年10月30日) 霊元天皇
延宝 寛文13年9月21日 延宝9年9月29日 9年
(1673年10月30日) (1681年11月9日)
天和 延宝9年9月29日 天和4年2月21日 4年
(1681年11月9日) (1684年4月5日)
貞享 天和4年2月21日 貞享5年9月30日 5年
(1684年4月5日) (1688年10月23日) 東山天皇
元禄 貞享5年9月30日 元禄17年3月13日 17年
(1688年10月23日) (1704年4月16日)
宝永 元禄17年3月13日 宝永8年4月25日 8年
(1704年4月16日) (1711年6月11日) 中御門天皇
正徳 宝永8年4月25日 正徳6年6月22日 6年
(1711年6月11日) (1716年8月9日)
享保 正徳6年6月22日 享保21年4月28日 21年
(1716年8月9日) (1736年6月7日) 桜町天皇
元文 享保21年4月28日 元文6年2月27日 6年
(1736年6月7日) (1741年4月12日)
寛保 元文6年2月27日 寛保4年2月21日 4年
(1741年4月12日) (1744年4月3日)
延享 寛保4年2月21日 延享5年7月12日 5年
(1744年4月3日) (1748年8月5日) 桃園天皇
寛延 延享5年7月12日 寛延4年10月27日 4年
(1748年8月5日) (1751年12月14日)
宝暦 寛延4年10月27日 宝暦14年6月2日 14年
(1751年12月14日) (1764年6月30日) 後桜町天皇
明和 宝暦14年6月2日 明和9年11月16日 9年
(1764年6月30日)[注釈 13] (1772年12月10日) 後桃園天皇
安永 明和9年11月16日 安永10年4月2日 10年
(1772年12月10日) (1781年4月25日) 光格天皇
天明 安永10年4月2日 天明9年1月25日 9年
(1781年4月25日) (1789年2月19日)
寛政 天明9年1月25日 寛政13年2月5日 13年
(1789年2月19日) (1801年3月19日)
享和 寛政13年2月5日 享和4年2月11日 4年
(1801年3月19日) (1804年3月22日)
文化 享和4年2月11日 文化15年4月22日 15年
(1804年3月22日) (1818年5月26日) 仁孝天皇
文政 文化15年4月22日 文政13年12月10日 13年
(1818年5月26日) (1831年1月23日)
天保 文政13年12月10日 天保15年12月2日 15年
(1831年1月23日) (1845年1月9日)
弘化 天保15年12月2日 弘化5年2月28日 5年
(1845年1月9日) (1848年4月1日) 孝明天皇
嘉永 弘化5年2月28日 嘉永7年11月27日 7年
(1848年4月1日) (1855年1月15日)
安政 嘉永7年11月27日 安政7年3月18日 7年
(1855年1月15日) (1860年4月8日)
万延 安政7年3月18日 万延2年2月19日 2年
(1860年4月8日) (1861年3月29日)
文久 万延2年2月19日 文久4年2月20日 4年
(1861年3月29日) (1864年3月27日)
元治 文久4年2月20日 元治2年4月7日 2年
(1864年3月27日) (1865年5月1日)
慶応 元治2年4月7日 慶応4年9月8日 4年
(1865年5月1日) (1868年10月23日)  
         
明治以降元号天皇一代一元号制(一世一元制)      

  

  明治元年1月1日(1868年1月25日) 明治45年(1912年)7月29日 明治元年9月8日 (旧暦)(1868年10月23日) 明治45年(1912年)
明治天皇在位45年( 44年187日) 一世一元之詔改元。
大正元年(1912年)7月30日 大正15年(1926年)12月24日 大正元年(1912年)
 大正15年(1926年)大正在位天皇 15年 14年148日 。
昭和元年(1926年)12月25日 昭和64年(1989年)1月7日 昭和元年(1926年)
 昭和64年(1989年)昭和天皇在位 64年 62年14日 。
平成元年(1989年)1月8日 平成31年(2019年)4月30日平成元年(1989年)
明仁(上皇)天皇在位31年(2019年),4月30日 31年 30年113日 今天的明仁上皇尚健在

日本试图在中美两强夹缝中走中间路线。长期是中国的学生,历史境遇很难不对日本民族的自信心带来打击。面对不如意的历史和现实,十分需要民族自信的日本形成了强烈的民族自尊心,让他们对任何小事很容易衝動,从而失去了从容的风度。
  强烈自尊心带来的后果就是,只能成功,不容失败;只能自我表扬,不容自我批评;心理极度敏感自大,喜欢通过否定别人来彰显自己。通过对中国“强势”,来凸显自国的自尊和自信。这是心理自卑的真实反映。
  懂点心理学的人都知道,自信带来包容,自卑带来自大。真正自信的民族乐于与他人分享自己的文化,有勇气面对自己的失败和不足,能够与其他国家民族“美美与共,天下大同”。坦然面对历史和现实,历史就是历史,它早已成为过去,没必要被历史束缚。

 

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