今日は川の水が青かった。夕刻になってようやく熱気がおさまり、水の上を渡る風がひんやりと肌に心地よい。河原を歩いていたら、浅瀬にぴちぴちと跳ねるものがあった。かがみこんで両手で捕まえてみると、体長10cmほどの鮎だった。水の外では苦しかろうと、鮎を包んだ両手ごと水の中につけて、しばらくぬるぬるとした生き物の感触を楽しみながら、持って帰れるだろうか、けれど持って帰ったとして何になるだろう、などと考えていたら、鮎はするっと手の中を抜け、あっという間に姿が見えなくなった。おそらく最終的には放しただろうが、考えた末に、さあ、放してあげるよ、と仏教で言う“放生”の気分でも味わおうかという思惑がはずれ、少し残念に思った。 腰を上げると、遠くの方で、大きな白い鷺が細長い足を交互にゆっくりと上げ下げしながら、そ知らぬ顔で歩いていた。
あ、もしかして、これが茶の湯とか禅の心というものなのでしょうか?自然と一体化して無我の境地に至る??
ちょっと違うかな。。。(^_^;)
鮎を水につけた時点で、無意識下に放生心が芽生えているものだと推測します。 残念に思ったのは自己満足の為では無いでしょうか~ 自己満足で達観するのはちょっと違うように思いますが・・・ 仏教の世界で功徳を積むと言う行為は下心がある行為だと思います(汗) 邪心が無く自然体で出来る小春日和さんは仏教を超えた姿でしょうね(ごま、ごま 哈哈哈)
私としては 鶴や亀のような事を期待しますが・・・・
邪心を抱いてるようでは、まだまだですね~ 精進いたしまする~~ 合掌 阿弥陀仏~~
ありがとう。
私も書いてるとき、絵を描いてるような気分だった。