その昔、お金のない若い芸術家たちが、閉鎖され打ち捨てられたからっぽの工場を安く借りて住んだのが、この北京798芸術区の始まりだったそうな。
アトリエや工房など広い場所を必要とした芸術家たちにとって、住居としての設備に欠けた寒々とした倉庫で生活の不便さを耐え忍んだとしても、芸術への熱意の方がずっと勝っただろう。
…というのが、私が聞いた話から想像したこの場所のロマンチックな始まり。てっきり、都会の真ん中からはじきだされた貧乏芸術家たちがやむにやまれず見出した居場所が、今日のように発展して社会に認められ正式な地位を獲得したのだと思っていた。
ところが調べてみると、798芸術区の公式サイトでも、ある日本の建築家の
「北京・798」レポートにも、この地区は始めから「ギャラリーやアトリエとして利用され」てきたのだと書かれている。むむ、私のロマンチックな想像もちょっと色褪せてしまった。
↓798芸術区についてのわかりやすい説明はこちらからどうぞ。
http://media.excite.co.jp/ism/031/column.html それはさておき、おもしろいところがあるから行ってみよう、という話で、ここを訪れてみた。敷地がとても広いし、下調べもしていかなかったので、どこにどんなギャラリーや店があるのかちっとも知らない。タクシーを降りた後、ただぶらぶらと行き当たりばったりに右へ左へと見て歩いた。
全体の感想としては、お天気のいい日に数人で、ものめずらしさに興じながら散策するには、おもしろいかもしれない。でも芸術的な価値とか意図とか或いは精神的なパワーといったようなものはあまり感じられらなかった。
前述の
「北京・798」レポートにこんな記述があった。
今回、「798」を見てなにが面白かったのかという事を考えてみる。国営の軍事工場というスケールと明解な機能をもった建物群、それが不特定多数のアーティストやギャラリストに解放された時点で生まれた「ズレ」が面白さの要因だったのではないかと思う。
798芸術区に足を踏み入れたときの異空間に迷い込んだかのような不思議な感覚はまさにこの理由によるものだと思う。だからこそ、いったんこの感覚を受け入れてしまえば、「ズレ」を「ズレ」と感じなくなってしまうのではないか。新奇なものは人々の目に晒され消費されることによって、ありきたりの風景に変わってしまう。
オブジェはどれも重苦しかった。私はもっと軽やかなのが好みです。
「怒りを表すのは一番簡単だからね。」とは同行者の言。
不思議な空間です。
工場の建物をそのまま利用してる、っていうのがいい。
広いので、どこにどんな店やギャラリーがあるのか、下調べしていった方がいいかもしれません。
広告は、記念にとっておこうかと思ったけど、消しちゃった。
どうせ、読む人も少ないのだから、効果がないと思う。
その芸術区は面白そうだ、一度行って見てみたい。