个人资料
博文
(2007-06-07 20:28:48)


  さあ、船出だ
  天下無敵の帆を掲げ
  無我夢中の急流を下る
  急転直下の滝を潜り抜け
  曖昧模糊の湖に辿り着く
  天衣無縫のオールを手に
  切磋琢磨の波に揉まれ
  紆余曲折の嵐を乘り越えて
  忘我混沌の大海へ
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(2007-06-06 18:08:55)

 闇を愛そう
   それは私の一部だから
 光を愛でよう
   それは神のものだから
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(2007-06-05 19:10:16)


                                (C)SozaiRoom.com                                 
                風がとおりぬけていく
                眠っている貴方の柔らかな黑髪に触れ
                頬をそっとなでる
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英国作家萨默塞特·毛姆是我最喜欢的作家之一。
《在中国屏风上》(OnaChineseScreen)是毛姆1919-1920年中国之行的产物,包括58篇原本可以写成小说的“素材”,此刻连缀成一组中国之行的“叙事”。
想介绍一下其中一篇《哲学家》里的小诗。
毛姆为访问一个中国著名的哲学家去了偏僻的地方。访问的学者是当时中国儒家学说最为权威的学者“辜鸿铭(1856-1928)”。
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  做了个又沉闷又凄凉的梦。
  我走在傍晚的商店街上。沿着车站一直向南走,那是这个城市里最热闹的街道。我为了买什么东西要去一家杂货店。我记得目的地商店在地下,必须通过一楼的别的商店下去。但我一走进面向马路的那家商店,正面迎面而来的是一堵墙壁。墙上从天花板下一直到腰的部分是尚未嵌入玻璃的窗户。从窗户外向里望去,看到里面正在装修。阅读全文]
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 重苦しく冷たい夢を見た。
 私は夕刻の商店街を歩いていた。それは駅前からまっすぐ続く、街一番の賑やかな通りで、私は何か雑貨を買うために目当ての店に向かっている。店は地下にあるはずで、一階の別の店の間口を通り抜けて降りていかなければならない。ところが、通りに面した店に足を踏み入れると、店先に入ってすぐ正面に壁が現れた。天井近くから[阅读全文]
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(2007-06-01 22:26:18)
  我做了梦。
  跟熟人和几个孩子们在一起去小山山顶的广场玩。广场里有两米高的哨所,哨所上躺着从哪里逃出来的一头狮子。我们怕得不能走近,远远围住哨所注视一会儿,不见它下来的迹象,我鼓起勇气上去了哨所,狮子在睡觉。怎么能把它圈在笼里呢?忽然发现了哨所下面的台子四角有四个轮胎,哨所可以直接推着移动到有笼的地方。
  由于发现了解决[阅读全文]
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 夢を見た。 
 知人たちと、子供たち数人と、小山の上の広場に遊びに出かけた。広場にある高さ2メートルほどの見張り台の上に、逃げてきた雄ライオンが悠々と寝そべっている。私たちは怖くて近寄れず、見張り台を遠巻きにしてしばらく見守った。ライオンは降りてくる様子がない。私は勇気を振り絞って見張り台に上る。ライオンは眠っている。どうしたら[阅读全文]
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(2007-05-30 18:25:56)
我想作为我的根据是记忆的整理和编辑。
生下人世之后,怎样记每天体验的事情,并且怎样整理·编辑记忆这个素材然而编我的故事,那就是“自我的统一性”。
  人从混沌生下来。生下的下瞬间就开始天天积累形成“我”的经验的日子。「我」观察而分析世界,然后分类、整理。世界通过「我」所看的东西所听的东西一点点形成其轮廓。「我」创造世界,世界提供[阅读全文]
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(2007-05-29 23:03:43)
 私が私であるための拠り所とは記憶の整理と編集なのではないかと思う。
 この世に生れ落ちてから日々体験する出来事をどう記憶し、さらにその記憶という素材をどう整理・編集して私の物語をつむいでいくか、それが「私が私であることの統一性」なのだと思う。
 人は混沌から生まれる。生れ落ちた次の瞬間からの日々は、「私」を形作る経験の積み[阅读全文]
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