2008 (142)
2009 (130)
2010 (94)
2011 (140)
私が私であるための拠り所とは記憶の整理と編集なのではないかと思う。
この世に生れ落ちてから日々体験する出来事をどう記憶し、さらにその記憶という素材をどう整理・編集して私の物語をつむいでいくか、それが「私が私であることの統一性」なのだと思う。
人は混沌から生まれる。生れ落ちた次の瞬間からの日々は、「私」を形作る経験の積み重ねの日々。「私」は世界を観察し分析し、分類、整理し、世界は「私」の見るもの聞くもの触れるものに沿って少しずつその輪郭を形成する。「私」は世界を創り、世界は日々「私」を造る素材を提供する。
人はそれぞれ、記憶の引き出しを持つ。きちんと分類された多くの引き出しを持っている人もいれば、粗雑で大雑把に分類された引き出しもある。明るいものや美しいものがたくさん入っていて何度も開けては眺めて見たくなる引き出しもあれば、鍵をかけて二度と開けることのない引き出しもあるかもしれない。開けてみたくなる引き出しをたくさん持っている人もいれば、おぞましいものばかり入ってる引き出しを抱えて生きていかざるを得ない人もいるだろう。
引き出しが何かの拍子にひっくり返ってしまうこともある。「私」は混乱に陥る。引き出しの中身はぶちまけられて、ごちゃごちゃになり、何がどこにあるのかさっぱりわからなくなる。そして「私」はばらばらになる。そんな時は、ひっくり返った中身をまた拾い上げて整理し直さなくてはならない。何十年もかけて積み上げてきたものなのだから、あわてず、少しずつゆっくりと整理し直すのがいい。もしかしたら以前よりずっと使いやすい引き出しになるかもしれない。