个人资料
博文
 『スローボートで中国へ』という旅行記がある。著者はギャヴィン・ヤング(GavinYoung)、日本語訳は冬樹社より椋田直子訳で1989年に出版されている(原作は1987年出版)。ヨーロッパから中国まで船のみを移動手段と決め、大小の船を乘り継ぎながら旅をした7ヶ月間を記した紀行文である。
 その中にこんな記述がある。…私はアンダマンで感じた疑問をエマー[阅读全文]
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(2007-11-16 18:48:59)
 私の両親はずっと町工場を経営していた。工場へ入ると、機械ががしゃんがしゃん回る音、ベルトコンベアーがうぃんうぃんと動く音、ボイラーの中で火がごうごうと燃える音、流れる水の音、油と埃の匂いなど、いろんな音や匂いがした。今でも、どこか下町の工場のそばを通り、同じような音や匂いに触れると、私はそれらを懐かしくまた愛おしく感じる。
 私[阅读全文]
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(2007-11-14 03:55:27)
 私が死んだら、悲しむ人はいるかもしれないが、困る人はおそらくいないであろう。人の命に重さの違いはないと言うけれど、偉大な哲学者や文学者、科学者、一国の首相、大統領など社会に影響力を与える者の死と、一介の市民の死とでは、社会にとっての損失という意味では、その重さに大きな違いがある。
 毎日の散歩コースの途中、橋の下をくぐると、傍ら[阅读全文]
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(2007-11-11 21:02:18)


覗いてはならぬという淵の傍らに立つ
淵は暗く深く静まりかえり一見、何ものをも映さない
緑の木立は密やかにざわめき胸騒ぎの鳥声が警告を伝える
何のために、禁を犯そうとするのかそこに淵があるから、などと詮もないことを考える
淵を覗けば、おそらく浮き上がる淵の底から、沈むボディが現れる
青ざめた白い肌水にたゆたう黑い髪踝に絡[阅读全文]
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(2007-11-09 17:48:33)

 何のために生きるのかと、10代の子供のような問いを相も変わらず繰り返し、想像の世界で思索を弄ぶ。あれもこれも怠け者の遊戯(ゲーム)に過ぎない?けれど経済だけがすべてじゃない。現実が重過ぎると感じるのは、物質的なものに捕らわれているからだ。そう断定する次の瞬間、しかし精神的なものに頼るのは現実からの逃避かもしれないという考えが脳[阅读全文]
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(2007-11-08 18:01:03)

この愛が手に入らないのならば
いっそナイフでこの胸を貫ぬこうか
それとも、彼の身をずたずたに切り裂こうか
流れる血ですべてを洗い流してしまいたい
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真夜中に、痛む胃を抱えて丸くなる
この痛みは、私だけのもの
この痛みは、私がここにある証拠
この痛みが、私を目覚めさせるきりきりと胃が痛む夜
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 夢を見た。高校の卒業式なのだが、そこには一人、大切な人が欠けている。病気で亡くなったのだと誰かが言った。私はそれを聞いたとき、すぐに泣きはしなかった。ああ、そうか、と思っただけだった。そして、どうして彼は病気だということをずっと私に言ってくれなかったのだろうと不思議に思った。私たちは恋人同士でもなんでもない。ただの同級生だったが[阅读全文]
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『お菓子の国のオペラ(蛋糕国的歌剧)』
偶然見つけたクレイアニメの動画です。オペラの歌曲と映像とがマッチしていて、すっかり気に入りました。
上記の題名は私が勝手につけたものです。
下面是我偶然看到的泥土卡片,很喜欢。歌曲和映像很适合。题名是我随便起的。
Verdi-Traviata-ChoeurBohémiens
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(2007-11-04 17:28:17)


愛情の実が石臼で挽かれていく
一粒 二粒
ごりごり ごりごり
愛情の実が磨り潰されていく
三粒 四粒
ごりごり ごりごり
磨り潰された実は
この不毛の地に振り撒かれ
鍬も入らぬ硬き大地の上で
いまだ恵みの雨を待つ
雨が訪れたとて
時すでに遅し
磨り潰された実から
芽は出ぬ
石臼は反復、
石臼は労苦、
石臼は[阅读全文]
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夜中の2時に目が覚めた。胸が石でも詰まっているように重く苦しかった。しばらく考えて、ああ夢のせいだ、と思い出した。私は野外で大きな布袋にゴミを詰めている。そこへ薄汚れた子犬がやってきた。茶色と黑と白のぶちだ。私はその子犬をひょいと持ち上げて袋に入れた。入れるとき、ああ、首輪をしているな、飼い主がいるのかもしれない、と思いはしたけれ[阅读全文]
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