ふくらむ蕾を眺めやり咲くか 咲かぬか待ち焦がれ
咲けば 咲いたでどこぞの花が見事だと聞いて浮き立ち気もそぞろ
散るか 散らぬか気を揉む間もなく散れば吹雪に酔い痴れる
散った花びら踏みゆけばはかなき人生胸に沁む
まこと人の心をかき乱す花ほど罪なものはなし
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いきものがかりの新曲、「帰りたくなったよ」が4月16日に発売されます。過去の彼女たちの曲と比べて、メロディーや歌詞もこれといって特別な感じがしないのに、取り立ててこれといった特徴を挙げることもできないのに、なぜか強く惹かれました。涙が出るほど感動するのとも違う、曲が抵抗なく心の中にすっと入り込んで寄り添うような、そんな不思議[
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チベット人が何かしら民族としての危機感を抱いているとして、それが果たして統治上の直接的な抑圧によるものなのだろうかと、疑問に思う。
2005年に青蔵鉄路(青海チベット鉄道)が開通し、チベットを訪れる観光客が飛躍的に増えた。交通手段の発達とともに、人的及び物資的な交流が盛んになり、経済が活発化する。こうなると商売上手な漢族[
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議論を交わす、ということは、必ずしも議論によってより正しい内容を導くという目的のために行われるわけではないということに、今更ながら気付く。 議論は時に、権力を得るために、如何により大きな声でより多くの主張をするかの戦いとなる。 ある立場の者の論理と別の立場の者の論理が、議論によって融合するということは、ほとんどあり得ないので[
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泣きたくなる日はどう過ごしたらいいのだろう叫びたくなる夜はどうこらえたらいいのだろう
何も感じずに昼を越せたらいいのに何も思わずに夜を迎えられればいいのに
実体のない不安が伸びていく
四方に伸びた不安をするすると 手繰り寄せててきぱきと 折りたたみくるりと 縛ってぱたんと 引き出しに仕舞えたら
ああ、どんなにか よいだ[
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さて、『ワンちゃん』だが、選評に日本語が稚拙だとか、こなれていない、という評があったが、私はむしろその硬くきちんとした文章が物語として整った体裁と相俟って、とても読みやすいと思った。 『乳と卵』とは対照的である。『乳と卵』では、語る主体や、立ち向かうべき現実そのものがあやふやで曖昧な感じがするのに対して、『ワンちゃん』では、あく[
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巻子の言葉が気になる。
<緑子、ほんまのことってね、みんなほんまのことってあると思うでしょ、でも緑子な、ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで。>
巻子は<ほんまのこと>はない、とは言わない。<ないこともあるねんで>と言う。<ほんまのこと>がある、という前提で問いかけてくる緑子に対して、巻[
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川上未映子の『乳と卵』を読んだ。
ある夏、大阪に住む姉とその娘が、東京にいる<わたし>の家に泊まりに来てから帰るまでの三日間のお話である。
姉の巻子は39歳、10年前に離婚して女手ひとつで、娘の緑子を育ててきた。緑子は現在小学6年生である。巻子が上京した目的は豊胸手術のためで、いかに胸を膨らますかということが現在の一大事で[
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偽りの器に
偽りの土
真実の種を植えたとて
真実の花が咲くものか
それでも人は
後生大事に钵を抱え
せっせと水をやる
哀しきかな[
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何か作為的な事件が起こって犯人探しを行うとき、その事件によって得をするのは誰か、ということを考えてみることで、事件の目的や犯人像が浮かび上がってくることがある。
さて、冷凍餃子中毒事件で得をするのは誰だろう?
事件によって、福田政権になってせっかく上手くいっていた日中関係が再びぎくしゃくし始めた。影響は、中国からの輸入に関[
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