『存在と非存在』
別にタイトルを意図して撮ったわけなく、風景を撮ろうとして、犬が勝手に入ってしまったというか。カメラのレンズの中の、満ち足りた自然のあるがままの姿として私の目に映っていた風景の中へ、ふいに犬が現れたのです。
ところがそういう経緯にもかかわらず、撮った写真を後から見てみると、犬がいない画像の方が、何かが[
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先日、ある人のブログを読んでいたら、その日が6月4日であったことに気がついた。それで昔のことを思い出した。
私が北京に留学したのは1990年だったが、ある時、学校側がビデオを見せてくれた。なんだかビデオを見るってよ、という話が留学生仲間に口づてに伝わってきて、希望する生徒たちは課外の時間に、三々五々、娯楽室へと集まった。 ビデ[
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今、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著、朝日出版社)という本を読んでいて、おもしろい箇所に出会った。
フランスの思想家ルソーがこんなことを考えていたそうだ。
(ルソーは)相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったので[
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前々回、大阪府維新の会が提出した君が代起立斉唱条例の話に触れた。
この話を夫にしてみた。
「思想良心の自由じゃなくて、組織マネジメントの問題だって。今時は、思想良心よりも、組織の経営が大事ってことらしいよ。」
「そう言ってても、それは思想の問題に決まってる。」
「え?橋本知事は、そうじゃない、って言ってるんだけ[
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我が家の庭の池に、今年はまだトノサマガエルが現れない。例年5月頃じゃなかったかと思って日記をたどってみると、2008、2009年は五月の二十日前後、昨年2010年は七月に現れている。去年は七月と、遅かったわけだが、現れる時期というより、私が気がつく時期がいつか、ということなのだろう。
まだ姿を見せないトノサマガエルの代わりに、先日、大き[
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26日の朝日新聞の記事。米倉経団連会長は朝日新聞などのインタビューに答え、原子力発電の是非について「世界のエネルギー政策の柱として、原発は避けて通れない。安全策を見直すべきだ」と延べ、今後も原発の必要性は変わらないとの考えを示した。 これは、先日このブログで書いた私の父の考え方と同じだ。
私はそうは思わない。どんなに安全策[
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お散歩、お散歩、うれしいな。
わーい、今日はこんなところで放してもらったわ。
草の匂いが、なんて気持ちいいんでしょう!
私を呼んでる声がするけど、しらんぷり、しらんぷり。
しかたないわね、行かなくっちゃ。
なあに?なんか用なの?
景色なんて、私、興味ないんだけど…。
ふわふわね、私もふわふわなの。
もうお帰りよ、と風[
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(前回からの続き、ただし余談)
さて、ここからは余談:
前述のテレビ番組で、最後に立花氏が次のようなことを言っていた。
最近になって、東電からメルトダウンが起きた時期など新たな発表が行われているが、アメリカは事故の直後から無人偵察機を飛ばし、かなり詳しい状況を掴んでいた。だからこそ、自国民に80km以内から避難するよ[
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私の父は、こんな大事故が起こっても、酔いながら、
「原子力がなきゃ、やってけないぞ。
こんなふうに、電灯の下で飯も食べられないじゃないか。
反原発の連中も、反対反対って、電力をどうするってんだ。」
と、クダを巻く。
私も母も妹も、なきゃないでなんとかやってくでしょ、命の方が大事だ、と思うのだけれど、酔っている[
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テレビでたまたま『ハリーポッターと謎のプリンス』をやっていて、中学三年生の甥っ子と一緒に見るともなく見ていた。甥っ子も私も、この映画はすでに映画館で見たことがある。
ちょうど、ハーマイオニーがロンへの切ない恋心に涙を流しているところをハリーが慰めている、という場面で、私が、
「ハリーとハーマイオニーって、似た者同士だ[
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