歌の力と個性
(2011-01-05 16:22:00)
下一个
第61回の紅白歌合戦、きっちり全部、見た。
悪くなかったと思う。
昨今、歌の力や言葉(歌詞)の力自身が衰えているので、歌が世代を超えて心を繋ぐなどというお題目を声高に叫んでも、なんだか虚しいような気がする。今回の紅白も一応そういうテーマを掲げてはいたけれども、まあ、テーマがないとまとまらないので仕方がない。でもそれが押し付けがましくならない程度に上手く抑えられていたと思う。景気のせいもあるだろうけれど、舞台装置の地味さといい、全体的に上品で身の丈に合わせた作りに好感を持った。雑だった前回の紅白より、ずっとマシだ。
どっちみち歌自体に力がないという日本の文化全体に関わる大事については、いち番組の製作者にはどうしようもないことなので、無理をせず、プロらしく丁寧な構成さえ心がけて楽しませてくれればそれでいいと思う。
一番印象に残ったのは、桑田佳祐。結局は“人”ということなのかなぁ。出演者個人の力量や才能、人生の重み、芸の深さなどが見る人聞く人にきっちり伝わってくるということなんだろうな。
『トイレの神様』は、曲だけ聴いたときは、どうしてこんななんでもない曲が…と疑問に思ったものだけれども、生で歌ってる姿を見たら思いがけず心が揺さぶられてしまった。不思議だ。
やっぱり氷川きよしがいい(一昨年も同じことを書いたような気がする。どうやら私は氷川きよしが好きらしい)。歌い方が少し変わった。この人はもっと自由な精神や情熱を内に秘めてるのに、それをストイックな意志の力で強く抑えてるといったふうに見える(考えすぎかな?)。これは単なる個人的な好み。
トリと大トリにはがっかり。けれど、これも個人的な好みの問題だろう。ファンの人にとっては喜ばしいことに違いない。
深い芸を積み重ねてきた或いは積み重ねていく人たちと違って、いわゆるアイドルと呼ばれる人たちには流行廃りがある。その時々に勢いのある人たちというのは見ていてやっぱり小気味よい。楽しいし意気があがる。
いきものがかりは好きなんだけど、なぜか売れてる曲にはあまり心惹かれない。アルバムの中のマイナーな曲の方がちょっと変わってて個性的な歌詞が多い。彼女たちの初期の歌も個性的だった。不特定多数の人に“ウケる”ためには、無難でなきゃだめなのだろうか。
それで思い出した。『歌の力』という曲が紅白のテーマソングになっていて、途中で出演者皆で合唱した。詞が、視聴者から寄せられたフレーズを繋ぎ合わせて作られている。もう全然、まったく、ちっとも、さっぱり、おもしろくない。一般的で抽象的で上滑りのただの単語の羅列。耳に残らない。心にひっかからない。主体のない寄せ集めの言葉なんて中身がからっぽに決まってるのに、NHKの人たちはどうしてこういうつまらないやり方をしたのだろう。
それで、またまたいもづる式に思い出した。昨年末に叔父が日産のGT-Rという車を中古で買ったのでそのお披露目を兼ねて遊びに来た(一生の夢を退職金をはたいてかなえたのだと事前に聞いていた。)交通手段としての車ではない、走るための車だそうだ。で、彼が以前乘っていた車がプリウスで、彼が言うには、プリウスほど运転しやすい乘りやすい車はなかった、今までで一番よかったね、この車(GT-R)は扱いにくくて大変だ、3年くらい乘ったらまたプリウスにしようかと思ってる。
せっかく夢をかなえたのに変なの、と、この話を弟にしたら、
「プリウスってデザイン的にはすごくつまんない車だって、ヨーロッパの自動車メーカーの社長が言ったって話だよ。こんな車、うちでは絶対に作らないって。」
やっぱり不特定多数に好まれる車にしようとすると、無難な車、個性のない車になるのだろうか。車のことは全くの門外漢なので、実際のところはどうなのか私にはわからないけれど。
お久しぶりです。あけましておめでとう!
視聴率、そんなによかったんだ。知らなかった。
不景気で家にいる人が多かったせいかもしれないけど、私の周りでも、今回の紅白は評判がよかったよ。ぜひ見てみて。