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中国铁路迷-铁子(中国鉄道ファンの鉄子)
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地震をよろこぶ人たち

(2008-05-23 19:15:15) 下一个

地震をよろこぶ人たち

中国四川省で巨大な地震が発生した。報道によると地震から2日たった現時点で死者は1万人を超え、いまだに校舎の瓦礫のしたで中学生数百人が生き埋めになったままだという。死者の冥福を祈りつつ、一刻も早い救助を願ってやまない。

地震発生直後、情報がすくなかったので、ぼくにしてはめずらしいことに、ネットであちこちの掲示板をのぞいてみた。そこで、心の底からがっかりしてしまった。今回の地震をよろこんでいる(というより快哉を叫んでいる)無数の書きこみに出会ったからだ。いったいいつから日本の社会で、中国はこれほどの悪役になってしまったのか。

確かに問題は誰でもすぐ指を折ることができる。毒いり餃子事件のうやむやなままのあと味悪い幕切れ。チベット自治区での民主化運動に対する暴力的な鎮圧行動(これは非難されなければならない!)。その後の聖火リレーでは、世界各地で過剰なまでの防衛態勢が目についた。反日デモやサッカーの日本代表戦における品のない声援などというのも、不愉快だったかもしれない。

ぼくも多くの日本人と同じように、個々の問題については中国という国も、共産党独裁の中央政府も、非を認め、改善すべき点があると考える。けれど、それと今回の地震をよろこぶ立場とは、百歩千歩のへだたりがある。

思えば今から四十数年まえ、東京オリンピックを迎えたころの日本は、現在の中国といくつか共通点をもっていた。国内に無数の問題や矛盾を抱えながら、近代化の坂道を駆けのぼる青春まっただなかの時期である。食品のなかに有毒物質が混ざる事件も多発して、毒いり餃子などとは比較にならない被害が生まれていた。粉ミルクや油のなかに砒素やPCB、ダイオキシンが混入したこともあったほどである(こちらは100人を超える死者がでている)。日米安保反対のデモでは、学生・警察の双方に多数の死傷者が発生した。ほんの40年ばかりまえは、日本だって中国と同じ成長期の苦しみの最中でもがいていたのだ。

ぼくも、天災をよろこぶ人たちも、中国への視線ではたいした差はないのかもしれない。苦しみつつトンネルの先にある光にむかって駆けていく(すこしばかり図体のおおきな)遅れてきた青年。きっとその青年を見る態度が違っているだけなのだろう。おとなりさんとして困っていれば手を伸ばし、障害を乗り越えるのを助けようとするか、あるいは気にいらないところがあるからと、薄闇のなか足元をすくってさらに困らせようとするか。それはただ隣国への態度というだけでなく、国家や人間を見るときの根本的な姿勢のあらわれなのかもしれない。

どんな国でも、光と影をあわせもつ。問題のない国はないし、歴史上道徳的に非難されるようなおこないを一切しなかった国も(国の定めた教科書ではどうあれ)存在しない。だが、その国のもつ光を評価するか、影の部分だけを見て仮想敵国にしたてるかで、対応はまるで異なってくる。同朋アジアの重要なパートナーとして、中国とはこれからもつきあっていかなければならないのだ。すすむべき方向は、日本人の多くには間違いなくはっきり見えていると、ぼくは信じる。

現在、中国や韓国についてこの程度のごく常識的な意見を述べるだけで、一部の人たちから過剰な反応が津波のように寄せられる。けれども、地震国日本に生まれた人間のひとりとして、やはり四川大地震をよろこぶような心ない意見を黙って見過ごすことはできなかった。この文章を読んだあなたは、どう感じただろうか。ぼくたちは人の痛みへの想像力をなくしてはならない。その心の働きのなかにしか、よりよい世界へ続く道などないのだから。
转自日本杂志-R25
石田衣良

Profile

いしだ・いら

1960年東京生まれ。成蹊大学卒業。著作に『池袋ウエストゲートパーク』(文藝春秋、オール讀物推理小説新人賞受賞)『4TEEN─フォーティーン』(新潮社、第129回直木賞受賞)『空は、今日も、青いか?』(日本経済新聞社)など。

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