3月20日の日経新聞に、“中国の政変が意味するもの”というタイトルで、薄煕来・重慶市共産党委員会書記の解任劇を解説する囲み記事があった。
まず、記事はこの解任劇を“1989年以来の最大の政変”と位置付けている。
薄氏は現在9人いる中国の最高指導部入りを目指して活動してきたが、これによって挫折した。このこと自体は歓迎されている。なぜなら、彼は“統治方法のヒントを中国の最近の歴史の最悪の部分、特に文化大革命に求めた” 保守派(左派)だからである。“警告した温氏(温家宝首相)は正しかった”と評価する。しかしそれだけではない。
薄氏解任で、不透明な選任プロセスでも不適切な候補者が排除されると確認されたとも主張できよう。だがそれはあまりに好意的過ぎる。後任が江沢民全国家主席の派閥から来たことは、江氏と結ぶ保守派と、胡氏や温氏に連なる自由主義的な共産党員との抗争が今も激しいことを示す。
記事は、薄氏を最高指導部入りするには“不適切な候補者”だと断じ、胡氏や温氏に連なる自由主義的な共産党員が今後主導権を取ることが望ましいことを暗示している。しかし、保守派と自由主義的な一派との抗争は未だ激しく、予断を許さない。
そして続いて “民主化推進や格差是正を訴える温氏の発言は魅力的だが、”実際に実行できるかどうかは疑わしい、と述べ、以下、民主化に向けた実行すべき具体的な措置の例を挙げている。人権活動家の解放や、村・群レベルでの民主化、汚職の取り締まり、消費者の保護など。しかしこれらの
ほとんどは実現の見込みが極めて低い。共産党はこうした措置が党崩壊につながりかねないと恐れる。だが中枢部の矛盾は、長期的には持続不可能で永遠には隠せない。これが先週の政変が真に意味することだ。
政治的にでも社会的にでも、何か大きな事件が起こったとき、私は、それがいったいどういう意味を持つか、ということを知りたいと思う。ところが日本の新聞を読んでいても、なかなかそういうことがわからない。
この記事はわかりやすく解説してあると感心していたら、記事の最後に、“(19日付社説)=英フィナンシャル・タイムズ特約”とあった。
2日後の朝日新聞のこの事件に関する記事では、“「政争か」飛び交う憶測”と、今更の小見出しがつけられ、些末な経緯をぐだぐだと取り上げていた。
むろん、英フィナンシャル・タイムズ紙が社説に書いた事件の意味は、中国に民主化を求めるイギリスという、ある特定の角度から見たものであって、中国から或いは日本から見た事件の意味は、イギリスと全く同じになると限らない。
ある事柄が自分にとってどういう意味を持つかを明らかにすることは、自分の立場を明らかにすることである。事件が日本にとってどういう意味を持つのか、日本はいったいどういう立場に立って世界の出来事を分析し、解釈し、意味づけ、外に向けてメッセージを発信していくべきなのか、新聞や雑誌を読んでもそれがなかなか見えてこないことにもどかしさを感じることが多い。