中国映画『譲子弾飛』(弾丸を飛ばせ)を見た。大陸では昨年大きな話題を呼び、興行的にも大成功を収めたという。日本では未公開。
2010年12月公開
監督:姜文
主演:姜文、周潤発、葛優、劉嘉玲、陳坤など
辛亥革命(1911年)後、未だ統一ならず軍閥が割拠する中国を舞台として、元革命家の匪贼と、地方へ派遣される県の長官と、地元の有力者との、三つ巴の知恵と肉体の戦いを描く。
誰が正義で誰が悪で、誰が味方で誰が敵かがわからないようなところ、権谋術数の嵐、二転三転する人間関係、など、おお、これぞ三千年の天下取りの歴史を繰り返す中国ならでは、といった感じだ(この映画では天下取りと言っても、小さな町の支配権争いにすぎないが)。
中国きっての三大俳優の競演という華々しさ、息もつかせぬ騎馬戦、銃撃戦、肉弾戦のシーン、暗喩に満ちたセリフ、などから大評判のヒット作となった。
まあ、評判どおり、確かにおもしろかったことはおもしろかった。暗喩や故事成語の引用だらけのセリフをすべて理解するにはネイティブでさえ難しいようだが、セリフ抜きにして、三人のベテラン男優の演技の迫力に終始圧倒される。
この作品が評判となったひとつの理由に、先程も少し触れたセリフや設定の暗喩がある。100年前の時代を借りて、現代の政治を風刺していると、ネットを中心として話題になった。
しかし、私は、現実の社会に一石を投じる程の風刺の力を、この映画の映像とストーリーから感じ取ることはなかった。それは私の中国語の理解能力不足に起因するものではないと思う。映像も音楽もストーリーも演出も演技も全部ひっくるめて映画全体がひとつの作品である以上、セリフの一部や設定の暗喩を理解できるかどうかによって、作品全体から受ける印象が大きく変わることはないと思う。
そして、この作品に対する私の印象は、皮肉や風刺の調味料をぱらぱらと振りかけた娯楽映画だということ。ほのめかしによって観客に後からあれこれ想像させたり議論させたりする手法は、単に知的好奇心を誘う遊戯にすぎない。ある日本の論評では、よくぞ検閲を通ったと大げさに書いてあったが、これはむしろ当局が、これを、社会に大きく影響を及ぼすような作品ではない娯楽映画だと、判断したからこそではないか。
これだけメジャーな俳優を用い、活劇としての面白さを備えた映画であるにもかかわらず日本で未公開なのは、セリフや一部の設定のわかりにくさから日本語訳が難しいという部分が大きいのではないだろうか。だとすると、余計な調味料を振り掛けて本来の味を損なうより、純粋な娯楽映画として仕上げた方が、マーケットをもっと広げることができたかもしれない。
以前、『鬼子来了(鬼が来た)』というこの監督の作品を見た。これにも私はあまり感心しなかった。社会や人間の醜い部分を暴いて、人が描かないものを描いたといって持ち上げるのは、簡単すぎる。泥の中から何を掬い上げ、どんな花を咲かすのか、私が芸術作品としての映画に期待するのは、新しい世界観を切り開く力である。