10日程前、図書館で貸し出しの受付に並ぼうとしたところ、返却本の棚の中に『東電OL殺人事件』というタイトルが目に入った。一時、世間を大きく騒がせた事件として記憶に残っている。なんの気なしに借りてみた。
1997年、もう今から14年も前の事件だ。
東京電力東京本社に勤務する当時39歳の女性が、渋谷区丸山町にあるアパートの1階空き室で何者かに殺害された。遺体は殺害されてから11日後に発見された。この事件が大きな話題となったのは、殺された女性が大企業に勤めるキャリアウーマンにもかかわらず、夜な夜な売春婦として街頭に立って客を引いていたという事実が明るみになったからだ。
この本を書いたノンフィクション作家の佐野真一氏は、そこまで堕ちていった彼女の内面の闇を突き止めたいという思いで取材を進める。その過程で彼女の家庭環境や父親との関係、職場での立場など、わかったことはいろいろあるのだが、結局それらはすべて外面的な事象、彼女の外郭ににすぎないという気がする。生きている人間の心の内でさえ簡単にうかがい知ることできないのだから、ましてや死んでしまった彼女の心の奥底を探ることなど始めから不可能な試みだったに違いない。
ただ、最後の方で、彼女の大学の同級生のこんな言葉が紹介されていたのが印象に残った。
「事件を知ったときにはとても信じられませんでした。私なりにいろいろ理由を考えてみましたが、いまだによくわかりません。彼女はすごく潔癖症だったので、精神のバランスを欠いてしまったのではないかというのが、私なりの結論でした。
でも、女性ならば誰でも、自分をどこまでもおとしめてみたい、という衝動をもっているんじゃないかとも思うんです」
佐野氏はこの言葉にたじろぐ。この言葉を発したのは、商社マンの夫と幼い子どもとともに、優雅でリッチな生活を営む幸福そうな主婦だったからだ。しかし、私は同じ女性として、この彼女の言葉にうなづいた。理屈ではなく、体でわかるような気がした。
数日前、有罪となった被告人の再審請求により新たな鑑定結果が出たというニュースが流れ、直前にこの事件に関する本を読み終えたという偶然に驚いた。
筆者は被害者の女性を足跡をたどると同時に、当時容疑者として逮捕されたネパール人のこともそれ以上の分量を割いて追っていた。筆者は始めから被疑者が無実であることを感じていたようだった。その視点に沿ってこの本を読むと、警察は先入観に囚われた見込み捜査を行い、客観的事実を積み重ねていくなら容疑者は無実であることが明白であるかのように思われた。
ところが新たな鑑定結果によって再び注目を集めたこの事件の経緯を目や耳にした妹がこういうことを言う。
「このネパール人って、もともと被害者の客だったんでしょう?
(遺体が発見された部屋の)隣のアパートに住んでたんだって?一部屋に何人も。」
妹のその口調には、疑ってしかるべし、という警察の見解と一致しているかのようなニュアンスが感じられた。私は佐野氏の取材の経緯を読んで、確実に違うじゃないか、警察ってひどい、犯人に仕立て上げている、と憤っていたので、妹のこの見方には驚かされ、いったいどちらの見方が正しいのかわからなくなってしまった。
奇しくもこの7月、2008年にアメリカで当時2歳の娘を殺害したとされた母親に無罪評決が下された。世間ではほとんど有罪だと思われていた事件だが、充分な証拠がなかったらしい。
もし、東電OL殺害事件が陪審員制度によって裁かれていたら、どういう結果になっただろうと、ふと思った。
日本の警察にはかなり問題がありそうです。全然科学的合理的じゃないのですよね。
女子サッカーチーム(なでしこジャパン)の活躍ぶりは、今、日本で大きな話題になっています。国民栄誉賞を与えよう、なんていう話も出ているくらいです。
暗い話が多い中、彼女たちの恵まれない環境下での奇跡的な活躍とチームワークに、皆、元気づけられました。
余談ですが、この前女子サッカのワールドカップファイナルをテレビで観戦して、とても感動しました。
それでは