ふたつの(あるいはよっつの)夢の話
(2010-02-16 18:17:23)
下一个
最近また頻繁に夢を見るようになった。嫌な夢といい夢が交互に現れる。
ある晩の夢。
私はコンピューター関連の会社に勤めている。皆がそれぞれの仕事をそれぞれ黙々とこなしている中、私は何をしていいのかさっぱりわからない。オフィスの机の列の間に立ってボーっとしている。私を気にかける人は誰もいない。冷たくよそよそしい空気が流れている。自分に何もできないこと、ここでは私の存在に何の意味もないことに、私は激しいいらだちを感じる。そこで隣の部屋の上司のところへ行って、「辞めます。」と伝えた。上司は一言、「そう」と言うだけだった。私は本当に辞めたかったわけではない。そう伝えれば、上司は驚いてきっと止めてくれるだろうと期待していた。止めないまでも理由を聞いてくれるだろうと。しかし期待に反した上司の言葉に、憤然と怒りが湧き上がってきた。ぐらぐらと煮え立つような感情が私を突き動かし、後ろから上司を思い切り蹴飛ばした。飛び掛って彼を床の上に仰向けに倒し、馬乘りになって渾身の力で彼の首を絞めあげる。
その時、目が覚めた。夢の中で男の首を絞めたその時のまま体には力が入っていた。苦いいやな気持ちが口の中に広がる。夢だったのだと気づき、やっと息をつく。寝返りを打って体をほぐした。
台所で水を飲んで、ふたたび眠りにつくと、また夢を見た。
今度は結婚式場などで部屋を飾る会社に勤めている。オフィスの一方の壁際には3段ほどのひな壇がしつらえてあり、その上に細長い筒型の白い花瓶がたくさん並んでいる。花瓶の中には様々な種類の花が2,3本ずつ、入れられている。式場の飾り付けをデザインするためのサンプルとして置かれている花々である。どんな花を使うのか、部屋の中の花を実際に組み合わせてみて決めるのだ。
私はここで働き始めて間もないので勝手がよくわからない。何をしたらいいのかわからないし、ちょっとした手伝いしかできない。しかし、前の会社と違ってオフィスには穏やかで温かい空気が流れている。自分にできることが少ないにもかかわらず、それが決して引け目にならない。自分はこの会社の一員なのだという気がする。
その二日後の夢。
子どもたちを含めた親戚10人ほどで遊園地に遊びに出かけ、皆で遊園地を一周するおもちゃのような汽車に乘る。終点に着くと、遊園地の職員が数人待ち構えていて、私たちのグループともう一組のグループを隣の事務所に誘導した。切符の数をごまかしたとかなんとか何か不正があって、それを取り調べるらしい。私は子どもたちのうちの一人が切符を持っていないことを知っているので少しうしろめたかったが、それはたいしたことではないので、なんとでも申し開きができると思った。
しかし、事はちっとも始まらない。私たちは事務所の壁際に並べられた長椅子に座らされたまま待ち続けている。職員たちもただその辺をうろうろしているだけだ。調べるなら早く調べればいいのに、といらいらする。この部署の責任者と思われる女性はまだ若く、何から始めたらいいかよくわからないようだった。あまりにも待たされるので、私はとうとう彼女に詰め寄った。「何をもたもたしているの!」。私は機関銃のようにまくし立てて、彼女の仕事の手際の悪さをひとしきり責めたてた。
その後、隣の部屋に行くと、床に池があった。池を覗き込んで水面をじっと見ていると、水の底に何かが見える。その何かがだんだんと浮かびあがり形がはっきりしてきて、さっき私が責めた女性の死体だということに気づく。私があんなに責めたから彼女は自殺したのだ。慟哭しようとするが声がでない。大声をあげたくて顔をゆがめ喉から声を振り絞るように力をこめるが、どうしても声が出てこない。
そこで目が覚めた。まだ夜は明けていない。緊張した体をほぐして嫌な感じを振り払いふたたび眠りにつく。するとまた夢を見た。
私は動物園にいる。広い園内のそれぞれの檻の前で大勢の人が列を作って並んでいる。私も列に並ぶ。私は列に並ぶ動物園の客であり、同時に動物園の職員でもあるので自分の仕事をしなければならない。園内の4箇所に紐で繋がれている虎の赤ちゃんに餌をやることになっている。虎たちのいる場所はそれぞれ離れているので、餌をやるのにあっちに行ったりこっちに行ったりしなければならない。一匹の赤ちゃんに肉をやって列に戻ってきて、また別の赤ちゃんに肉をやり列に戻り、と2回ほど繰り返した後、こんなやり方をしていたのでは最後の赤ちゃんに餌をやって戻ってくる頃にはまた最初の赤ちゃんに餌をやる時間になってしまう、これでは大変だと思った私は、そうだ、赤ちゃんを全部ここに連れてこよう、と考えた。それぞれの場所に連れに行って、一匹一匹抱きかかえて自分の場所に戻ってくる途中で目が覚めた。
寅年の新年を迎えた2月14日(旧暦の1月1日)に、四匹の虎の赤ちゃんの夢を見るとはなんと縁起のいいことと嬉しく思った。