『青春の北京』西園寺一晃著(中公文庫・ 1973 年)を読んだ。古本屋で偶然手にした本だ。
<著者紹介>
昭和17年( 1942 )東京に生まれる。
日中間の国交未回復の多難なおり、“民間大使”として活躍しつづけていた父西園寺公一氏の長男として、昭和33年赤坂中学在学中に家族とともに中国に渡り、10年間を北京で過ごす。
その間、中ソ論争、文化大革命を体験する。昭和41年北京大学卒業。
(表紙裏著者紹介より)
中学3年生で著者は父親の都合で家族とともにまだ国交のない中国に渡る。15,6の多感な時期に不安を抱えながらも着いてすぐに言葉のわからない現地の学校に通いどんどん溶け込んでいく。若さゆえの順応性ってなんてすばらしいと思う。一方で、柔らかで真っ白な心は染められやすく、情熱に駆り立てられやすいということも思った。
日本の60年代、安保闘争で学生たちが自らの信念に基づいて行動を起こしたように、同時代の中国の文化革命もまた、その渦の中心は学生たちであった。著者の西園寺一晃は外国人でありながら中国人の同年代の若者と同じようにその渦の中心にいて、いるだけではなく行動をも共にした。
本書は、文化大革命を歴史のひとコマとして客観的に眺めるのではなく、当事者としての目線で、しかも革命的思想に燃えた情熱の炎がまだ収まらぬ時期に書かれた。後世の私は 、文化大革命に対して、偏った思想に盲目的に追随した若者たちの暴走という漠然としたイメージしか抱いていなかった。しかし、本書を読むとそれだけでないことが見えてくる。特定の思想を盲目的に信じる大众と、思想とは別の次元で政治的闘争を繰り広げ、闘争の道具として大众を巧みに操作しようとする権力者たち。権力を持つ者と、持たざる者たちとでは、物事の見え方、捉え方が全く異なってくるようだ。
著者は権力を持たない者として激動の最中にいて、いったい何が起きているのか全体像を正確に見据える立場になかった。それにもかかわらず、また盲目的に当時の熱に浮かされた若者の一人であったにもかかわらず、不思議なことに彼の筆によって描き出された情景は著者には見えていないものを読者の現前に浮かび上がらせている。
例えば、学内で方針がころころ変わる。学生への締め付けと支持・鼓舞が波のように繰り返し押し寄せる。一連の論文に対する評価が二転三転する。現代の読者だったら、これらは上層部で起こっている激しい権力闘争の現れだと理解する。しかし、当時の著者は、これらは人民の幸福のために高邁な理想を追求しようとする社会主義の思想と、一部の資本家に支配され労働者が搾取される資本主義との闘争だと考える。思想と思想の闘争であるので、外部にある具体的な個人や組織だけでなく、自己の思想的弱点や意志の弱さも敵だとみなされ、厳しい自己批判が要求される。それが学生たちにとっての文化大革命であった。
この違いは、人間を個々の人間として捉えるか、それとも思想を絶対として人間を理想の思想に型にはめるように当てはめていくか、という違いでもあると思う。
今では、後者は既に時代遅れとなったようだ。