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庭のつつじ
壊れたテレビをとうとう処分した。廃品回収の車が家の前を何度も通ったけれど愛着のあるものだったから車を呼び止めるのに躊躇してきたが、昨日、とうとう呼び止めた。ブラウン管のテレビを、さすがに買い取ってもらうことは期待してなかったけれど、ただで引き取ってもらえるのだと思っていたら、処分料を支払わなければならなかった。リサイクル法で電化製品は規定の処分料を支払わなければならないことは知っていたのに、なんだか都合のいいことを考えていた自分に気付く。言い訳めくけれど、おそらくそれは金銭的なことだけではなく、自分にとって愛着のあるテレビがあたかも普遍的な価値を持つかのように錯覚していた部分もあったのかもしれない。それがお金を支払って処分しなければならないゴミだということをうっかり忘れていたようだ。
ついでに、壊れた古いノートパソコンとプリンターも一緒に引き取ってもらった。
人は、衣服を幾重にも着るように、さまざまな“物”を身の回りにちりばめて纏うものだ。“物”には自分の一部が染み付いている。
時折、生活に必要な最低限度のものだけを残し、それ以外の物をすべて捨ててしまったらどんなにか身軽になるだろう、と思う。けれど、それがなかなかできないのである。