夫の不倫を暴露する胡紫薇(左)とそれを制止する張斌(中央)
2007年12月28日、中国国営テレビ局CCTVは、08年1月1日から放送予定の五輪専用チャンネル設立の記者会見を行った。
世界各国から集まった大勢の新聞記者が見守る中、CCTVスポーツチャネルの司会者である張斌が、あるオリンピック選手の名前を読み上げ、壇上に招き入れようとしたちょうどその時であった。突然、キャメル色のダッフルコートを着た一人の女性が舞台に現れた。それは、司会の張斌の妻で、北京テレビ局(BTV)のアナウンサー、胡紫薇であった。
彼女はマイクを手にし、次のように語った。
「私が今日ここにいるのは、キャスターとしてではなく、今私の隣に立っている張斌の妻としてです。今日は五輪チャンネルにとって、そして張斌にとって特別な日ですが、しかしわたしにとっても特別な日となりました。なぜなら、夫が別の女性と不適切な関係を続けているという事実が、2時間前に分かったからです。」
「来年はオリンピックの年です。全世界の人々が中国に注目しています。しかし、フランスのある外相が言ったように、中国人がもし価値観の上で、何か欠けているのならば…それら一切はいったいどういう意義があるというのでしょうか?何の意義があるというのでしょうか?(彼女を制止しようとするスタッフに対して)…か弱い女性に何をするの?何の力もない弱い女性に対してこんな態度を取るっていうの?」
「フランスのある外相が以前こんなふうに言いました。価値観を輸出できるようになるまで、中国は大国とはなり得ないと。…私たちの前で道徳家ぶって…内心では自分自身に対して、そして自分が傷つけた妻に対して顔向けできるはずがない時にさえ。…中国が大国になるですって?…貴方たちはいったい少しでも良識があるっていうの?…放しなさいよ!…大国とは程遠いわよ。」
「皆様明日からよい休暇をお過ごし下さい。私と夫にはもう不可能ですが。」
最後に彼女は、「申し訳ありませんでした。」と頭を下げ、舞台を降りた。
このニュースは一気に中国の各ニュースサイトとブログに流出し、中国のネット史上最高アクセス数の映像記録を作った。
動画投稿サイトYoutubeにその映像が掲載されている。
www.youtube.com/watch?v=hwHhRcRDAN0
知的で端正な容貌、アナウンサーならではのよく通る声とはっきりした語り口、毅然とした態度、たった2時間前に知った事実であるという告白は、それが夫の面子を失わせるという計画的な復讐劇ではなく、夫を愛するがゆえ、社会的な道義を問いたいがゆえ、怒りに我を忘れた突発的行動であると思わせた。同性であることから自然に生じる同情心と併せて、そのような映像的効果から、私は自然と彼女の方に肩入れしつつ映像を見終えた。
これが日本での出来事だったら、単なる家庭の事情の暴露であり、ワイドショー的なネタにすぎない取り扱われ方になると思う。けれど、ここが彼女の賢さだと思うのだが、彼女は、夫の浮気話をオリンピックの開催と絡めて国家全体の道徳観、社会問題を問う方向に持っていった。
中国では改革解放以来資本主義の波が押し寄せ、お金さえあればなんでもできるとういういわゆる拝金主義がはびこっている。裕福な男性が愛人を持つことが一種のステイタスでもあり流行でもあるような風潮がある。彼女はそういう社会的現象を突いて、オリンピック開催という記念すべき年にあたって、いったい本当に中国は大国としての品格を備えているのだろうかと、問うている。
彼女はダンボール肉まん事件を報道した番組のプロデューサー兼キャスターであった。事件で彼女はキャスターとしては事実上、干された。取材は実は捏造であったということで、事件の幕は引かれたが、実際、捏造であったかもしれないし、もしかしたらそうでなかったかもしれない。真実はわからない。どちらにしても事件の幕は権力によって引かれた。
中国では日本とは比べ物にならないほど、女性が社会に進出している。だからつい、あたかも男女同権が実現している社会であるかのように錯覚してしまう。けれども、彼女たちが社会的地位を獲得するためには男性並みのあるいはそれ以上の努力が要求される。社会的に成功すること、同時にステイタスのある伴侶を見つけて立派な家庭を築くこと、彼女はそれを自分自身の力によって手に入れたのだ。社会的な地位を失った後は、夫だけが彼女にとって心の拠り所だったのではないか。
或いは、これは単なる夫の面子をつぶすための復讐劇に過ぎないのかもしれない。妻の尊厳が踏みにじられたことに対する怒りなのかもしれない。けれども、彼女はその個人的な怒りを、社会的問題に重ね合わせることによって、多くの市民の感情に訴えかけ、共感を得た。彼女の言葉は、今の中国が追求しているのは国家の体面、国家の発展であって、個人個人の幸福の追求ではない、と感じている多くの人々の感情を揺さぶったのだと思う。国が何ものにもまして優先しようとしているものと、個人個人の人間的な生活に関わる幸福のあり方とが大きくずれる一方で、言論によって国家的事業に不満を訴えることすら許されない中、多くの人が彼女の発言に衝撃を受け、それをガスの噴出口とみなしたのではないだろうか。