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《在中国屏风上》(On a Chinese Screen)(2)-天坛-

(2007-05-26 22:54:08) 下一个

英国作家萨默塞特・毛姆是我最喜欢的作家之一 。
《在中国屏风上》(On a Chinese Screen )是毛姆 1919-1920 年中国之行的产物 , 包括 58 篇原本可以写成小说的“素材”,刻连缀成一组中国之行的 “叙事”。
下面是其中我最喜欢的 一篇《天坛》。(中日译文)
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《天坛》

        它向着苍天而立。三层圆形的汉白玉露台,一层高于一层,四道大理石阶梯,分列于东西南北四方。这象征着天球及四个基本方位。天坛被一个大花园围绕,花园又被一道高墙环绕。冬至标志着天时的周而复始。年复一年,每到冬至之夜,每一朝的天子都会来到这里,庄重地祭拜皇族先祖。斋戒净身之后,皇帝由亲王和大臣陪同,在侍卫的护卫下登上祭坛。王公大臣们各按其位,恭候皇上,乐工和舞者表演着仪式性的乐舞,在巨大火炬昏黄的火光下,官员们的朝服发出暗淡的光亮。在昊天上苍的牌位前,皇帝献上馨香、玉帛、珍馐和佳酿,他虔诚地俯下身子,三跪九叩。
        就在这个奉承天命主宰大地的君主叩首的地方,魏拉德· B ·安特梅耶醒目地题下了他的姓名和家乡:哈斯丁、内布拉斯加。源于他所听到的模糊传说,他试图将自己转瞬即逝的生命附丽于那神圣的缅怀之地。他认为通过这样做,在他死后人们仍能记住他的名字。他希望以这种直率的方式获得不朽。然而人的希望永远是虚幻的,当他刚走下台阶,旁边一个斜倚着栏杆,悠然望着蓝天的中国管理员便走上前去,在安特梅耶写下名字的地方狠狠地吐了口唾沫在上面来回擦拭。片刻之后,魏拉德· B ·安特梅耶到此一游的痕迹就荡然无存了。

唐建清    译
凤凰出版传媒集团    江苏人民出版社


『天の祭壇』

    白い大理石の円形のテラスが積み重ねられて天に向かって聳えている。台座には東西南北に大理石の階段がついている。東西南北に達する天国を象徴しているのだ。この周囲には広い芝生があり、その周囲には高い壁がめぐらされている。毎年冬至の夜になると、歴代の天子さまが威儀を正して、この祭壇の建立者を礼拝しにやってくる。冬至の日には天が生まれ変わるからである。皇子や国の名士に守られ、軍隊をお供に連れて、断食で身を清めた皇帝が祭壇に近づく。彼を待っている皇子、大臣、高級役人たちがそれぞれ指定の場を占め、音楽が奏され、舞い手が聖なる舞踏を奉納する。大きなたいまつの投げるおぼろげな明かりに照らされて、列席者の黑い礼服は華麗に輝く。「至高の天 ---- 最高の皇帝」と刻まれた石碑の前で、皇帝は香を焚き、宝石、帛布、汁、米、酒を奉納する。跪いて大理石の床に九回頭を着ける。
    天と地の代理支配者が跪いたまさにこの地点の上に、ウイラード・B・アンターメイヤー、ネブラスカ州ヘイスティイング市と書き記した男がいた。何ということなく噂で知ったこの永遠の聖地に、束の間なりとも己の存在を残そうとしたのだ。自分が死んだ後も、自分が記憶されるだろうと思ったのだ。野暮ったいやり方なりに自分の不滅を求めたのだ。だが人間の野望のいかにはなかいことか。彼が石段を下りていくが早いか、それまで手摺にもたれてぼんやり空を眺めていた見張りの中国人がやって来て、ウイラード・B・アンターメイヤーと書かれた場所に唾を吐くと、足でその上をこすったのである。ウイラード・B・アンターメイヤーがここに来たという痕跡は、一瞬にして消えてしまった。

小池滋 訳
筑摩書房


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