个人资料
博文
(2009-09-21 22:13:52)

 
 文化人形は頭と胴がつながっている。一枚の布を袋状に縫ってパッキンを詰め、詰めながら真ん中あたりを紐でぎゅっと縛る。上のふくらみが頭で、下のふくらみが胴、縛ってくびれたところが首になる。
 紐をぎゅっと絞っていて気がついた。
 「あ、これは・・・、てるてる坊主だ」
文化人形の原型はもしかして、てるてる坊主なのか!?<[阅读全文]
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(2009-09-18 05:24:57)
 
 心とはどうしても一所に留まりがちである。心が一所に留まると、それは思いつめて氷のように凝り固まって自由でなくなる。全身に心が行き渡らなくなる。そこで、氷を溶かして水にし手足や頭を洗うように、心を全身に延びるように用いる。そうすれば心は十全に働き、身体は軽々と用を果たすことができる・・・そうだ。
 一枚の葉に気をと[阅读全文]
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 本心と申すは、一所に留らず、全身全体に延びひろごりたる心にて候。妄心とは何ぞ。思ひつめて、一所に固まり候心にて、本心が一所に固り集りて、妄心と申すものに成り申し候。本心の失せ候はば、所々の用が欠ける程に、失わぬ様にするが専一なり。たとえば、本心は水の如く一所に留まらず、妄心は氷の如くにて、手も頭も洗はれ申さず候。氷を解かして[阅读全文]
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 心が一度、どこか身体の一部分に捕えられていると新たに働くときは、その特定の場処から取出して、いま要するところに持ってこなければならぬ、この転換はじつに容易ならぬ仕事である。心は一般に「止」まらせられたところに、停滞することを欲する。転換が楽になされるときですら、時間はかかる。自分のところになつかせたいと思って猫をつないでおく[阅读全文]
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 一本の木に向うて、其中の赤き葉一つを見て居れば、残りの葉は見えぬなり。葉一つに眼をかけずして、一本の木に何心もなく打ち向ひ候へば、数多の葉残らず目に見え候。
(沢庵著『不動智神妙録』)
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 『青春の北京』西園寺一晃著(中公文庫・1973年)を読んだ。古本屋で偶然手にした本だ。 <著者紹介>
昭和17年(1942)東京に生まれる。
日中間の国交未回復の多難なおり、“民間大使”として活躍しつづけていた父西園寺公一氏の長男として、昭和33年赤坂中学在学中に家族とともに中国に渡り、10年間を北京で過ごす。
その間、中ソ論[阅读全文]
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(2009-09-10 05:00:10)
 
 最近、「見えない汚れを落とす」という洗剤のコマーシャルをよく見かける。今に、「臭わない匂いを取る消臭剤」とか、「聞こえない音を遮断する防音壁」なんていうのも出てきたりするかもしれない。
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 静岡限定、パチンコチェーン店『コンコルド』の最新CMがまたまたおもしろい。(以前の記述はこちら。)
 このご時世、ついついミドリさんと一緒に叫びたくなります。
 で、思ったんですけど、最後の「誰かよ!」の所に政党の名前を入れたら、おもしろい政党のCMができるんじゃないかと。
ミドリ  「なんでなんでも明るくしなくちゃいけな[阅读全文]
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(2009-09-06 05:55:14)

 
 ネットで米山京子さんの人形の本を探していたら、たまたま文化人形と言うものに出くわした。
 文化人形とは、大正から昭和初期にかけて流行った洋装の布人形のことだそうだ。大きくぱっちりと見開いた目に真赤なおちょぼ口、ボンネットの帽子や頭巾をかぶっている。
 文化人形について書かれた『リンゴ姫とキンギョ姫』(市川こずえ著)という[阅读全文]
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(2009-09-04 06:22:35)
 
 8月の末、父が富士山に登ってきた。9合目の山小屋に泊まって、翌朝、頂上で御来光を拝む。小学生の時に登って以来の富士登山で、その時使った杖が物置に取ってあったのを探し出し、意気揚々と出かけていった。残念ながら視界が悪くはっきりした御来光が見られなかったり、山小屋が寝返りもできない窮屈さでほとんど眠れなかったり、下りの砂走りが転[阅读全文]
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