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徳島編之一(下)---和文

(2008-01-16 02:09:02) 下一个
12月23日

4時半に起きた。コンビニで朝食を買い、5時47分徳島発のJR始発で新野に向かった。休日の早朝電車は空いてて、私は揺られながら朝ごはんを電車で済ませた。

一時間後に私は新野駅で降りた。



少しずつ空が明るくなってきた。今日は晴れそう。



22番の平等寺は駅から徒歩20分で近かった。



東京は既に冬の色に染まっているが、気候温暖の四国ではまだ秋が未練たっぷりと足跡を残しながら去って行ってる。

男厄抜坂と女厄抜坂があった。「一つも女性らしさが見えない」とよく言われる私はさすがにここでは素直に女厄抜坂を登った。



平等寺の境内からの眺め。



平等寺から出たのは8時前だった。空は完全に晴れて、太陽も昇った。空も山脈も空気も洗われたようにきれいだった。私は軽い足取りで広々とした田んぼの中で歩いた。



早く起きてなければきっとこんな景色が見れなかっただろうと喜んだ。



21番の太龍寺に行くのに私は山内中バス停に着いた。時刻表を見ると、後1時間近く待たないとバスが来ないようであった。待たずに先に進み、二駅先でBusに仱恧Δ人激盲啤ⅳ蓼繗iき始めた。道中は道端に落ちた小さなみかん拾ったり、鼻歌を歌ったり、スキップしたりして、一人楽しく歩いた。

しかし、バス停を見逃して、気付いたときは既に二つ目と三つ目の駅の真ん中にいた。時計を見ながら、慌ててダッシュで三つ目の駅に走り、ギリギリでハーハーしながら後ろから私を追い越して、少し待ってくれたバスに仱贽zんだ。

バスを仱毪长龋保捣帧ⅲ玻狈?翁?埶陇说扦毳愆`プウェーの駅で降りた。太龍寺は高さ600mの頂上にあり、高さから見ると大したことはないように思うが、ロープウェーから外を眺めると、多分自分で登るなら、4時間はかかるだろうと思った。
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山にあるお寺はほとんど山門に入ってからも更に長い石階段を登らないといけない。







太龍寺を出て、徒歩で山道を下った。途中でたまに上りのお遍路さんに出会い、「お疲れ様」と挨拶を交わした。一時間ほどひたすら歩き、やっと国道に出た。20番の鶴林寺は国道の向こう側の山の上にあった。

鶴林寺に登る遍路道の入り口で休憩を取った。地元のおじいさんがわざわざ道を教えてくれて、大きなみかんを5つと健康ドリンクを1本持たせてくれた。みかんを食べながら休憩している間に自転車で廻る若い兄ちゃんも入ってきた。彼にみかんを二つ裾分し、お互いの廻るルートなどを雑談した。時は既にお昼過ぎ、周りは民家以外に食堂が1軒も見当たらず、空いたお腹をみかんでなんとか。。。

20分ほど休憩し、自転車遍路の兄ちゃんに手を振って鶴林寺に向かって歩き始めた。この時期はお遍路さんが少なく、道中はずっと一人で、聞こえるのは鳥の鳴き声、自分の足音と両人同行と書かれている金剛杖につけてある鈴のちりんちりんとした音だけだった。荷物を背負っているため、肩が段々痛くなってきた。終わりがないように思える延々と続く雨の後の滑りやすい険しい山道を黙々と歩いた。そのうち頭の中も真っ白になれた。





歩いて三時間、真っ赤な顔でやっと鶴林寺の本堂の下に辿り着いた。階段の下で息を整え、一服していた。



帰ろうとしているところのバスツアーで廻る年配の団体に会い、皆から「お疲れ!」、「頑張ってね!」と励まされた。白髪のおじいさんから「お守りをあげる」と一枚金色の納札をくれた。私はそれを見て驚いた。確かに50回以上廻った人だけは金色の納札が使えると聞いているからだ。札の裏を見ると、やはり「82回目」と赤い判子が押されてあった。私は思わず頭を下げて丁寧にお礼した。おじいさんは私の肩を軽くただいて、「しっかり歩いてね」と一言を言って去っていかれた。 ※納札下記の図のように回数によって色が違ってくる。私は初めてなので、白の納札を使っている。



鶴林寺境内。











鶴林寺を出たのは夕方4時ごろで、次の19番まで3時間の道のりがあり、お寺が閉まってしまうので今回は鶴林寺で終わりにした。

下山は早かった。1時間も足らずで山を降りた。生名と言うバス停で徳島行きのバスを待っていた。40分近く待ち時間があるため、おばあちゃんがやっている売店でチョコレートを買い、道端にある小さな村の消防署前にある空地でチョコを食べながらバスを待った。





その間に何人もの通りかかった村の住民が足を止めて、あれこれと話しかけてくれた。

おばちゃんが来て-------若い人がどんどん出て行き、村が年寄りばかり残った為、皆でアイディアを出し合い、道の駅を作ったりして村興しを図っている話;あの有名な年収1000万のおばあちゃん」(全国の料亭などに飾り用の葉っぱや梅、桜の花など料理のつきものを商売にし、年収1000万を越えた八十何歳のおばあちゃん)はこの村の人で最初は誰も彼女のやろうとしている事業は絶対に儲からないと思っていたのに。。。との話。車を空地でユーターンしようとするおじさんが車から降りてきて-------5月に太龍寺に行くお遍路さんが山中で遭難し、ヘリコプタで吊り上げられて生還した話。自転車で通りかかったおばあちゃんが自転車を降りて-------「うちの主人と来るまで88箇所を何回も廻ったわ」との話。先の車のおじさんがいつの間にかまた車で戻ってきて、今度は江戸時代の手描きの遍路地図のコピーを持ってきてくれた。。。。。色んな人に出会い、いろんな話を聞いている間に、チョコレートも食べ終わり、周りが暗くなってきて、バスがやってきた。

バスは一番前に座っている一人のおばあちゃん以外に、他の伩亭悉い胜?盲俊K饯厢幛恧诵肖?⒈持肖?楹晌铯蚪丹恧筏俊%啸工?妞盲?辘茸撙瓿訾筏俊K饯线転手さんがおばあちゃんとお喋りしていることに気付いた。哕炇证丹螭慰冥魏幛摔戏潘陀盲违蕙ぅ??膜い皮い毪韦恰⒈摔卧挙贤杪劋长à坤盲俊¥?肖ⅳ沥悚螭?局肖墙丹辘啤?袱味ā⑦転手さんは私に声をかけた。「お遍路かい?」、「何箇所を廻った?」、「歩き遍路なの?」とかあれこれと雑談が始まった。私はマイクがないので、仕方なく一番前に行って淋しがり屋の撙沥悚螭烁钉?悉盲俊¥长盲饯辘冗ちゃんの横顔を覗いてみたが、40代の格好いい人だった。

徳島まで1時間はかかると聞いたとき、「えっ、1時間もお喋り?」と気が遠くなりそうだった。幸い途中で伩亭瑝垽à皮?郡韦恰⑺饯舷堕gを見て居眠りした。徳島に着く10分ほど前に目が覚めた。頭を上げた途端に撙沥悚螭紊??wんできた。

  ----- 目が覚めたかい?
  ----- は。。。い
  ----- 疲れたろう?
  ----- そうだね。
  ----- お酒を飲むん?(かなりお誘いの口調)
  ----- (びっくり)、、、飲まない。と言うか飲めない!(自分の中で「嘘付け~!」)
  ----- そうか。。。(残念そう)じゃあ、キューイは好き?
  ----- 好きです。
  ----- 送ってあげようか?
  ----- (はー??!!)いやいや、いいですから、ありがとうございます。(この撙沥悚螭虾韦蚩激à皮い毪浃椤!!#?br />  ----- そうか。。。(またも残念そう)
やっと徳島駅に着き、この訳のわからない会話がやっと終わった。バスを降りるときに撙沥悚螭?撙?螭蛞护膜?欷俊K饯悉?瘠蛐肖盲平丹辘皮い盲俊a幛恧?檫ちゃんの捨てゼリフ-「さよ~なら」が聞こえてきた。

私は歩きながら思わず笑ってしまった。マイク付きでナンパ-----この撙沥悚螭稀ⅳ工博`!!!

コンビニで晩御飯を仕入れ、宿に戻った。風呂上りにニュースを見ながら、缶ビールを一本飲んだ。風呂上りのビールはうまい!バスの撙沥悚螭诵辘膜い粕辘吩Uないが、酒虫は彼の一言で湧いてしもうたわ!(^^)!

でも缶ビール一本で既に瞼が重くなり、8時もなってないうちにそのまま寝てしまったZzzzzzz。。。。。

12月24日

朝6時15分の京都行きのバスの仱盲俊W蛉詹肖盲恳槐兢误茎萤`ルはお礼として部屋のテーブルの上においてきた。

昨夜ぐっすり眠れたので、今日は朝から元気満々。バスの中で太陽が海から上がってきたのを眺めた。



途中で鳴門大橋を通過。



9時に京都駅についた。大阪にいる親友の加藤さん夫婦が既に待ってくれていた。何年ぶりの再会で、三人とも心底から喜んだ。豊国神社、南禅寺を散策し、11:00に湯豆腐の「奥丹」に一番仱辘侨毪盲俊?br />
豊国神社









「国家安康」の鐘。



南禅寺







南禅寺の山門の上から「大文字」が見える。



湯豆腐の店----「奥丹」。











1時に京都駅で加藤さん夫婦と別れ、帰りの電車に仱盲俊G啻?8切符なので、もちろん新幹線は仱欷胜ぁ?換えを何回も経て、品川についてのは夜10時だった。

毎回が同じだが、私は山でいくら歩きつかれても翌日また歩きたいと思うのに、東京に近づくと「帰りたくない!」と自分の中の叫び声が聞こえる。私はいつも都会で心に垢や塵埃を溜めては旅に出て心の洗濯をしている。
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