平夷王彭公, 出身贫微而不屈. 少时某年春节, 拒食祖母乞来之食, 入山伐薪鬻米而归. 做苦力数年, 挑泥挖煤不等, 故背微驼, 绝无富贵气. 后习武, 民国十七年平江暴动, 年底附太祖于井冈草莽间.
彭公征战南北, 有勇有谋, 平倭寇, 镇西夷, 武功为诸帅首. 然律己极苛, 待人不免过严, 故诸将入城后甚畏之.
国朝建元四年, 擢为兵部尚书. 十年, 天下大饥, 道路以尸, 民相食. 太祖稍忧之, 于庐山召诸侯议. 彭公与民同苦, 心急如焚, 遂书于太祖万言, 言之切切, 太祖深恨之. 诸侯遂伐之, 彭公自以为民意, 强项不服. 兵部侍郎聂公, 叶公痛言曰: “今上健在, 汝且桀傲不驯. 他日上薨, 汝意如何?” 公遂忍辱罪己, 黜而不用, 文革竟囚病死.
俗谚云, 好人不寿. 公之谓也. 吾每读其自述, 不免痛心下泪. 彭公起而为寒微, 罢而为寒微, 大公无私, 死而目张, 国朝第一人也.