朝日新聞が自社の慰安婦報道を検証したことについて、「検証は不十分」とした人が産経新聞?FNN(フジニュースネットワーク)の世論調査で7割にのぼった。言い訳、責任逃れ、開き直りが随所に見られた検証だったのだから、当然だろう。
早くも反国家的
しかしこの新聞、案の定、馬耳東風、唯我独尊。8月13日、「戦後69年 歴史を忘れぬ後代の責務」という1本(大型)社説を掲げた。前回の当欄で筆者は、戦後朝日の原点が「過去一切への仮借なき批判と清算」であることを指摘し、「反国家的新聞の日本否定は今後も続く」としたが、その通りのことを早くもやっている。
社説は今年が日清戦争開戦120年であることから書き起こされる。慰安婦問題を直接の主題にしたものではない。しかしその文脈でも読めるのだ。
とりあえず社説のいうところを聞こう。
昨年の戦没者追悼式で安倍晋三首相が「アジア諸国への加害についていっさい言及しなかった」ことに、「歴史書き換えの一歩が潜んでいるのではないか」という。そしてこう展開する。
「日本軍がアジア諸国に戦火を広げ、市民を巻き込んだ歴史を忘れるわけにはいかない。(略)それを自虐史観と呼ぶのは愚かである。表面的な国の威信を気にして過去をごまかすのは、恥ずべきことだ」
「69年前の反省をきちんと掲げ続けなくてはならないのである」
慰安婦史は修正こそ必要
「歴史書き換え」とは、いわゆる歴史修正主義(リビショニズム)を念頭に置いているだろう。第二次大戦の史実とされることがらを検討しようとする動きに対して、批判的に使われることが多い。たとえばこの春、反日的論調で知られるニューヨーク?タイムズは、河野談話を検証しようとする動きなどを社説で「安倍首相の危険な歴史修正主義」と題して批判していた。
“慰安婦史”を朝日新聞は…あの村山首相を見習い「おわびと反省」繰り返せ
今回の朝日社説は、直接は書いていないにせよもし慰安婦問題が念頭にあるなら、それとはいわぬ自己弁護であり、言語道断である。慰安婦問題は、朝日がやっと認めた誤報を含むキャンペーンにより、日本軍が人さらいのように女性を連行し奴隷のように扱ったという、ありもしない「歴史」があおられ、拡散し、日本の名誉を汚していることが本質である。このような虚偽の「歴史」は修正されねばならない。
もっと長い目で見れば、いま日本人の間で澎湃(ほうはい)と起こっているのは、日本人が日本人自身の歴史を取り戻そうとしているということではないか。戦後の長いあいだ主流だった、日本をひたすら罪悪視するような歴史観の呪縛から、日本人がやっと覚醒しようとしている。中韓の執拗(しつよう)な歴史攻撃が、逆に日本人を歴史という国民のアイデンティティーに覚醒させたのである。
それは朝日社説がいうように、「表面的な国の威信を気にして過去をごまかす」類いのものでは決してない。どうして朝日はそこまで日本人を信頼できないのか。日本人は、過去の事実としての非は非とし、教訓をくみ、なお和を尊んでいくだろう。しかし名誉をも重んじるだろう。だから今回、慰安婦問題で多くの日本人が憤っているのである。
自己卑下と迎合
慰安婦問題の文脈で読まなくても、朝日社説は例によって危うい。最後は再び日清戦争に話を持っていく。中国?人民日報が、強大な海上権を確立して日清戦争の悲劇、つまり敗北を繰り返さないようにすべきだ、などと論評しているのを引き、力にまかせる現在の中国の姿勢を一応、批判はする。そのあと、「そのような議論に、こちらのほうから現実味を与えるわけにはいかない。そのためにも、69年前の反省をきちんと掲げ続けなくてはならないのである」と締めくくる。
これはどういうことか。日本が「アジア諸国への加害」を自覚し「69年前の反省をきちんと掲げ続け」ていたら、中国はおとなしくしている、ということだ。日本が反省を掲げ続けないから中国を刺激しているのだ、ということになる。
そこに筆者が感じるのは自己卑下と迎合である。さらに中国の思惑に対する、あまりにも甘い認識である。歴史戦争というプロパガンダ戦で日本の国論を分裂させ、国力を低下させ、日本に覇権を及ぼそうとする中国の謀略は、念頭にない。
20年前、「おわびと反省」を繰り返しながらアジア諸国を歴訪した村山富市元首相の姿を思い出す。村山元首相の謝罪外交に対し、マレーシアのマハティール元首相はこう述べた。
「50年前に起きたことを日本が謝り続けることは理解できない。過去は教訓とすべきだが、現在からさらに将来に向かって歩むべきだ。(略)アジアの平和と安全のために、すべての役割を担ってほしい」
朝日こそ反省を
蛇足ではあるが加えておく。
冒頭の世論調査の数字に表れているように、朝日こそ、慰安婦問題の誤報を含んだキャンペーンで日本の国益を大きく損ねたことについて、もっと検証と反省を続けるべきではないか。
「表面的な朝日新聞社の威信を気にして過去をごまかすのは、恥ずべきことだ」
「反省をきちんと掲げ続けなくてはならないのである」
(大阪正論室長)