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「悪意」の源流 小保方博士と理研の迷宮(上)

(2014-05-11 19:13:28) 下一个


http://www.nikkei.com/article/DGXZZO70875170Y4A500C1000004/?n_cid=DSTPCS001

 「世紀の発見」は「悪意ある不正」へ。理化学研究所は、STAP細胞の論文を書いた研究ユニットリーダー、小保方晴子の「研究不正」を確定、懲戒処分の検討に入った。一方、小保方側は法廷闘争も辞さない構えを見せる。深まる対立の構図――。だが、「悪意」と断ぜられた論文問題の源流をたどっていくと、小保方と理研をのみ込んだ巨大な「科学技術」の迷宮が見えてくる。基礎研究の中心地は、政官財と学界の思惑が絡み合いながら、膨張を続けている。=敬称略

 

 

 

 「(結論が)早すぎるんじゃないか」

 

 

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 5月8日夜、東京・内幸町の富国生命ビル23階。理化学研究所が設置した外部有識者による改革委員会の席上、委員長の岸輝雄は理研側にそう迫った。

 

■「良い切り貼り」と「悪い切り貼り」

 

 その直前、理研はSTAP細胞の論文問題で記者会見を開き、研究ユニットリーダーである小保方晴子の「研究不正」が確定したと発表。理研の研究不正ガイドラインには、「悪意がなければ不正でない」と規定されている。だが、「悪意と故意は同義」という論理で、小保方の画像加工が意図的だったとして「不正」と認定した。

 

 岸は納得がいかない。不正を審査した調査委員会6人のうち、4人に切り貼りの疑惑が持ち上がっている(うち前委員長の石井俊輔は辞任)。「わかりにくいんですよ。切り貼りでこっちは良くて、こっちは悪いって。そこが、一般市民や私にも十分、わかるようになってから出した方がいい」

 

 東京大学名誉教授で工学博士の岸をしても、その判断が理解できないという。当然、小保方側も黙って引き下がれない。代理人弁護士の三木秀夫は、こう憤る。「どんなにがんばってもダメだと言わんばかりの決定。納得できない」

 

■小保方研究室は今…

 

 だが、理研は組織をあげて「小保方排除」を推し進めている。それは、1月のニュース報道で有名になった研究室にも及んでいる。

 

 神戸の人工島、ポートアイランド。その一角にある発生・再生科学総合研究センター(CDB)は、今ではマスコミも遠ざかり、静かな時が流れているかに見える。

 

 ところが、その内側では大きな変化が起きていた。

 

 A棟4階。エレベーターを降りて、左手に進もうとすると、「関係者以外立入禁止」という大きな看板が立ちはだかる。その先は照明が落とされ、薄暗い空間が続く。そこに小保方晴子の研究室がある。

 

 強烈なフラッシュを浴びながら、彼女がピンクや黄色に彩られた研究室を紹介したのは3カ月前のこと。その場所は今、人影もなく静まりかえっている。すでに小保方ユニットのスタッフは全員、違う部署に移されたという。

 

 なぜ、これほど「小保方排除」を急ぐのか。
 

 

 

■責任者は誰だ

 

 その理由として、特定国立研究開発法人の法案提出期限があるとみられてきた。今国会に間に合えば、予定通り来年4月に新法人へと指定される。理研にとっては、高給を払って国内外から優秀な研究者を集めることが可能になるなど、メリットは大きい。

 

 だが、その見通しは4月下旬から絶望的な状態になっていた。科学技術担当相がSTAP論文問題の混乱を理由に、「今国会への法案提出が難しい」と語ると、周囲からも「秋の国会以降」という声が漏れた。この頃、理研の根回しも急速に萎えていった。

 

 それでも、小保方問題の早期解消に躍起になるのは、責任問題が急激に拡大している事実がある。小保方1人に責任を負わせるだけでなく、論文共著者であるCDB副センター長の笹井芳樹と、プロジェクトリーダーの丹羽仁史も懲戒委員会にかけられることになった。

 

 それだけではない。改革委員会の岸は、当初から論文の共著者全員に責任があると明言していた。だが、調査を進めるうちに、「責任」の範囲は広がっている。「個人だけでなく、組織にもそれなりの責任がある。当然、理研の責任にもなりますよ。そうすると、文部科学省、ひいては日本の科学技術政策そのものの問題になってくる」。理研のトップから、そこにカネを注ぎこむ国家や官僚組織まで、すべてに責任があるという。

 

 それは、日本の科学技術の根幹に対する疑念でもある。

 

 これまで科学技術の世界は、高度な最先端研究が進み、部外者が立ち入れない「聖域」と化してきた。それは財政においても同じだった。日本の科学技術予算は急激な上昇カーブを描いている。理研や各大学の研究所などに付けられる科学研究費補助金(科研費)は、1995年に900億円だったが、10年後の2005年度には1800億円強に倍増、2013年度には2318億円に達している。

 

 しかし、その効果は疑問符がつく。

 

■京の維持費、年100億円

 4月21日の取材で、7代目の理研理事長、有馬朗人は自戒の念を込めて、こう語った。「私が失敗だと思うのは、理研だけじゃなくて、国もそうだけど、機械はすばらしく良くするけど、その後がダメなんだよ。京はせっかく世界一だった実力が今、がたっと落ちちゃった」

 

 次世代スーパーコンピューターとして理研に設置された「京(けい)」が計算速度世界一を達成したのは2011年のこと。民主党の事業仕分けで、「2位じゃだめですか」と指摘されたが、理研理事長の野依良治ら科学者が反発し、「いったん凍結すれば、他国に追い抜かれる」として予算を復活させた。結局、1111億円を投じて、2012年に完成し、民間利用も始まっている。

 

 だが、京はその後、計算速度を上げる開発が止まってしまった。そして、世界4位に落ちている。それでも、専用の6階建ての巨大ビルには今も210人が勤務し、毎年100億円を超える維持運営費がかかっている。電気代だけで20億~30億円を費消する。

 

 理研は、運用での成果を強調する。モノ作りや災害予知、ナノテクなどに利用されているというが、1000億円を超える投資に見合う具体的な成功事例は見当たらない。クルマの流体力学のシミュレーションにも使われているが、「スパコンでF1カーを製作したら、ぶっちぎりでビリになった」と理研計算科学研究機構の職員は苦笑する。

 

 ところが、そのスパコン開発は今年4月に予算が復活した。2020年ごろまでに「京」の100倍の計算速度を目指して、理研に1400億円が投じられる。

 

■理研バブルの原点

 

 「計算速度世界一」や「STAP細胞論文」など、華々しい瞬間は報道陣にアピールする。その裏で理研が手がける無数のプロジェクトに多額の国費が流れ、巨大な組織体の中に消えていく。実態は複雑怪奇で、収入1つとっても、運営費交付金から施設整備補助金、科研費、補正予算などが年度の途中にも積み重なっていく。組織も化学、物理、生物、工学などの研究分野をカバーしているが、近年は生命科学(ライフサイエンス)の研究分野が急拡大して、施設が全国に拡散している。全国7カ所に分かれて生命科学の研究が行われているが、その役割分担は見えない。

 

 巨大研究所膨張の起点をたどっていくと、1995年に行きつく。バブル崩壊と超円高で日本経済が苦境にあえいだこの年、理研は大きな転換点を迎える。


 

 

 

 90年代半ば、バブル崩壊の荒波は「55年体制」を転覆させ、自民党は政権の座から転落する屈辱をなめる。野党として国政を動かすには、議員立法しかなかった。自民党科学技術部会の会長だった尾身幸次は、68年に廃案になった「科学技術基本法」に目をつける。極度の経済不振に陥っていた日本にとって、科学技術は「成長力を復活させる唯一の手段」に見えた。95年秋、法案が提出されると、共産党まで賛成に回って、わずか2週間で成立する。

 

■科技族の誕生

 

 この法案が、巨額の研究予算を生み出していく。96年に作成された第1期科学技術基本計画は、それまでの5年間を3割も上回る17兆円という巨額の予算を実現した。

 

 なぜ17兆円なのか。尾身は必要な数字を積み上げたわけではないと述懐する。「要するに、(大蔵省=当時)主計局をねじ伏せられるかどうか。むこうだって数字の決め手なんかないんだよ」。道路族など、他の議員から批判の声が上がったが、政調会長の加藤紘一が援軍となった。「主計局が真っ青になって飛んできて、何とか止めてくれっていうわけ。ところが僕は、火消しなんかしないよ、と。それ以外に手がないじゃないかと」

 

 科学技術という名目ならば、予算が通りやすい時代が到来した。次の科学技術基本計画は、予算が24兆円に拡大。「科技族」と呼ばれる族議員が生まれていった。

 

 この予算が、基礎研究の中心である理研に流れていく。1917年に設立された名門研究所で、当初は総裁に皇室関係者を迎え、副総裁に渋沢栄一が名を連ねた。湯川秀樹や朝永振一郎などノーベル賞学者を輩出している。「日本唯一の総合科学研究所」は、格好のカネの流し場所となった。

 

■研究費で公共工事

 

 17兆円の研究投資が決まると、理研に1機数億円するという世界最先端の核磁気共鳴装置(NMR)を大量に設置して、タンパク質の基本構造を解析する実験が認められた。後に「タンパク3000プロジェクト」と呼ばれ、500億円を超える予算が投下されることになる。

 

 問題は、その設置場所だった。理研には当時、生命科学の研究施設として、84年に「ライフサイエンス筑波研究センター」が設置されていた。また、理研内部では、兵庫県の播磨研究所にある大型放射光施設「SPring―8」が、X線によるタンパク構造解析を進めていることから、NMR施設を播磨に併設すべきだという意見が根強くあった。99年、播磨は「ストラクチュローム研究」というタンパク質研究を立ち上げる。

 

 ところが、NMR施設は、横浜市鶴見区の京浜臨海工業地帯のど真ん中に新設されることになった。誘致活動を成功させた横浜市長の高秀秀信は元建設事務次官で、「みなとみらい21」などの開発プロジェクトを推進した。「箱物行政」と批判される高秀が絡んだことで、政治力で理研が横浜市に引っ張られたとの見方が強い。

 

 巨大なカネの流れが、理研に次々と新施設を産み落としていった。「公共事業への支出が厳しくなる中で、政治家が科学技術の予算に目をつけるようになっていった」(元経産省幹部)

 

 横浜研究所が開設された2000年4月、実は、同時に新たな場所に生命科学系の研究所が開設されている。それが、小保方の所属する神戸市のCDBだった。この立地を巡って、理研内外の思惑が複雑に交錯した。


「あれは井村さんのプロジェクトだった」。理研関係者は一様にそう話す。

 

 井村裕夫。90年代に京都大学総長、そして国立大学協会会長を務め、科学技術界の重鎮として知られる。科学技術会議(現・総合科学技術会議)議員としても、長らく国の研究政策に関わった。

 

■東大対京大の利権争奪戦

 

 21世紀を目前に控え、首相の小渕恵三は「ミレニアムプロジェクト」として、理研に3つの生命科学系の研究センターを同時に立ち上げる構想を打ち出す。これをとりまとめていたのが、科学技術会議議員の井村だった。

 

 そして、京大系人脈の「関西拠点構想」が動き出す。井村のブレーンだった京大教授が「発生生物学の研究者が集まりやすい場所」を主張、それが関西での研究所立ち上げを意味することは明白だった。一方、理研の筑波研究所も新センター設立を主張した。

 

 1999年10月、設立を目前に控えて立地が決まらない中、補正予算として研究費129億円、建設費100億円が内示される。翌2000年になっても、まだ正式に立地がまとまらない。水面下で、神戸市と協議を続け、2月にはCDBセンター長に京大大学院教授だった竹市雅俊が内定する。この時点で、立地争いは神戸に軍配が上がった形となった。

 

 

内部での綱引きの結果、神戸市に立地が決まった理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)。
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内部での綱引きの結果、神戸市に立地が決まった理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)。

 

 

 ミレニアムプロジェクトの3つの生命科学の研究センターは、立地が横浜2カ所と神戸1カ所に分裂した。当時のリーダー候補者の名簿を見ると、横浜は東京大学系、神戸には京大系の学者がずらりと並ぶ。その後、大阪府吹田市にも生命科学研究の拠点「生命システム研究センター」が設置されるが、センター長をはじめ大阪大学系の研究者が集結している。

 

 理研の膨張は、政官財と大学の駆け引きが複雑に重なっていった。

 

■「理研のトイレットペーパーは一万円札」

 

 元衆院議員の福島伸享は経産官僚として、科学技術予算にむらがる人々を目の当たりにしてきた。森喜朗政権時代、生物科学産業課(通称バイオ課)に在籍していると、理研の研究者が次々と福島の元を訪れた。ライバルの研究者が文部科学省の予算を獲得したことが気に入らず、経産省所管の産業技術総合研究所(産総研)のカネを目当てにすり寄ってきた。そして、相手の悪口を、カネの不正から女性問題までぶちまける。

 

 「理研のトイレットペーパーは一万円札をつなげて作られている、と揶揄(やゆ)されていた。政治家よりも汚い世界ではないかと思った」。その福島は、書類を作成するとき、「理研」と書くところをわざと変換ミスして「利権」と打ち込んだという。

2003年、理研は独立行政法人に転じている。行革が叫ばれる中、特殊法人だった組織は、省庁から切り離されて独り立ちすることになる。5年間の中期計画を策定し、その業績や評価で組織や研究プロジェクトの存廃が決まる。この時、文科省は、基礎研究に独法という組織形態は合っていないと強く抵抗した。

 

 文科省はもう1つ、危惧していることがあった。当時の理事長だった小林俊一が、「適正規模」を唱え続けていた。独法になれば、拡大路線から舵(かじ)を切る危険を感じていた。結局、独法化とともに、小林は理事長の座を降りている。そして、新理事長にノーベル化学賞を受賞したばかりの野依良治が就任した。

 

 

「STAP細胞」の論文についての記者会見で厳しい表情で質問を聞く理化学研究所の野依理事長 
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「STAP細胞」の論文についての記者会見で厳しい表情で質問を聞く理化学研究所の野依理事長 

 

 

 小林は「理研の5年間」と題した手記を残している。6つのセンターを立ち上げたことに「忸怩(じくじ)たる思いがあります」と記した。「(各研究所が)疎遠になることをもっとも危惧しました。分野間に壁がないことが理研の誇るべき伝統である以上、この疎遠はなんとしても避けたいと考えました」

 

■「論文ピンハネも」元研究者

 

 独法になっても、理研には巨額のカネが注ぎ込まれている。中期計画で、運営費交付金は減額されているが、一方で科研費が急拡大しているからだ。「政治家も官僚も、増え続ける科学技術予算の突っ込み先に迷った時は、とりあえず理研を使う」。科技族だった元議員は、そう打ち明ける。

 

 それを受ける理研の研究リーダーは、「差配」の仕事に追われることになる。

 

 「PI(研究責任者)になると、自分が研究する時間がなくなる」。理研の研究チームリーダーは、科研費を獲得するために奔走している。獲得したカネは所属する研究センターに23~30%を納める。「オーバーヘッド」と呼ばれる仕組みだが、受け取った研究所が使い切れないケースが頻発している。「年度末が近づいた2月になって、やっぱり使い道がないから研究室で消化してくれ、と言われたこともある」。やむなく業者にカラ伝票を切らせて、年度をまたいで必要な物品を納入させたという。

 

 予算を獲得した研究リーダーは、そのプロジェクトを動かすために研究員や技術員を採用しなければならない。そのマネジメントも負担となってリーダーの肩にのしかかってくる。

 

 それでも研究成果を生まなければならない。勢い、部下の論文に責任者として名前を掲載することになる。「カネは潤沢にあるから、実験やデータ作りは、部下や外部業者に丸投げする。そして論文という実績をピンハネする。要するにゼネコンと同じ」。理研の元研究者は、そう構図を解説する。

 

■捏造の誘惑

 

 論文も、影響力の高い雑誌に掲載されるほど、実績として評価される。そのため、雑誌の引用頻度を基に計算される「インパクト・ファクター」を重視する。日本の学術雑誌では、高くても4倍程度だが、英ネイチャー誌と米サイエンス誌という二大雑誌は30倍を超える。「ネイチャーとサイエンスには、捏造(ねつぞう)や改ざんではないかと疑いたくなるような論文が見られる。そのリスクを冒す価値があるということ」。理研の研究グループリーダーは、そう研究者心理を解説する。

 

 そうした「賭け」に踏み出す危険性を、理研は構造的に抱え込んでいる。工学系主体の研究所は産業との結びつきが強く、成果がモノとして見えやすい。だが、物理や化学、生命科学の基礎研究は、「産業化」までの距離が遠い。そのため、論文が評価を決する場となる。それも、与えられた期限の中で成果を見せなければならない。だから、部下に都合のいいデータを作らせて、論文に組み上げようとする研究者がいたとしても不思議ではない。

 

 STAP細胞論文は、そうした理研をとりまく環境と歴史が作り出した構図の中で生まれた。そこに「悪意」があるとすれば、裁かれるべきは論文に名を連ねた人々だけではない。名門基礎研究所を、カネと利権の舞台装置に仕立て上げてきたすべてに、スポットライトを当てる必要がある。

 

(編集委員 金田信一郎)

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