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ドラマ『カタツムリの家』(蝸居)を見終えて

(2011-06-28 04:51:25) 下一个
 
 『カタツムリの家(原題:蝸居)』という長い中国ドラマを、ようやく見終わった。
 大都市の住宅問題、土地開発・立ち退き問題、拝金主義の風潮、官僚の汚職、愛人問題など、現代中国社会の様々な問題を背景として、夫婦や家族、恋人間のあり方を描いた複雑なドラマで、放映当時、大きな話題となったそうである。
 夫に言わせると、普段どっぷり浸かっている日常生活をドラマで見ても“面白くない”とのことなのだけれど、外国人の目で見ると、中国独特の社会や人間模様を垣間見ることができて、なかなか面白かった。
 
 ドラマを見ていてなによりも感じたのは、中国社会では法的な拘束力よりも人の情による拘束力が強いのだなぁということ。『カタツムリの家』の中の様々なトラブルは、そういう伝統的な人間関係のあり方とお金の問題がないまぜになった結果、発生しているのだと思った。
 これは経済が急激に発達している今の中国社会に独特の問題なのだろうか?そうとばかりは言えないような気もする。確か『紅楼夢』でも、一族の栄華と衰退が宮廷との関係によって左右される様子が描かれていた。
 現代では、栄枯盛衰をともにする単位は、紅楼夢の一族郎党よりももっとずっと小さな、“カタツムリの家”並みの規模に縮小されているけれど、それでも、ドラマに出てくる中国人の多くは個人の欲望のために動くというより、家族や身内の繁栄と幸福のためという動機によって突き動かされているかのようだ。
 
 ドラマには、金持ちの官僚の愛人になる海藻という二十歳半ばの女の子が出てくるのだが、このドラマがアップされているYoutubeのコメント欄には、彼女を非難する声がとても多く、やはり儒教的道徳観が強いのだと思う。
 私は、彼女に同情する気持ちが強い。ただのわがままで享楽的な女の子だとは思えない。海藻は若くて素直で一所懸命に生きている。それだけに社会の風潮や家族の思惑に敏感で、彼女のいろんな選択は彼女自身の自由な意志というよりも、社会の反映であり、世間によって選ばされた結果である。

 最後に、彼女がアメリカに向かって発つことになって、私はほっとした。これで彼女は自由になるのだと。このドラマの結末はストーリー的に見れば偶然の産物ではあるけれど、私は、彼女がこの自由を手に入れるために高い代償を支払ったのだと思えてならない。こんな感想を聞いたら、中国の視聴者は、とんでもないと怒るだろう。コメント欄には、欲望のままに好き勝手をやった彼女が子供を失ったのは自業自得だし、当然の報いだという感想が多かった。
 けれど、それまでのドラマの中の人間社会が、私にはあまりにも複雑で窮屈で殺伐として感じられ、もともと若さゆえの素直で溌剌としていた彼女の自然な感情が、次第にそういう社会に飲み込まれ染められていく様子が暗く重くのしかかってきていたので、アメリカという地が、重い中国社会の拘束から逃れる自由への希望と約束の地であるかのように(現実のアメリカは違うとしても、イメージとして)、感じた。


 近頃、日本の報道では、中国の地方での暴動や騒乱に関する記事をよく見かける。新聞によると、コネが横行し、貧富の差がますます開く不公平感が火種となっているそうだ。
 数ヶ月前、たまたま何かの話をしていて、夫がこんなことを言った。
「中国の社会の不公平さはこの先もずっと変わらないと思う。」
「え?それって、体制が変わっても、ってこと?」
「うん、そう。」
  “結果の平等”を好む日本人の方がずっと社会主義的なメンタリティーを持っているとはよく言われることだけれど。


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