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中国旅行記(1)~中国の今~

(2010-04-21 05:04:12) 下一个
 
 中国旅行から帰ってきました。
 もう何十年かぶりの中国なので、上海も北京も私の知っているのと全く別の都市のようでした。その変化に戸惑うと同時に、何を見ても新鮮でおもしろく、8日間存分に楽しんできました。

 まず始めに上海で受けたのは、都市全体が常にぐわんぐわんと音をたてて動いていて、四方八方に触手を伸ばしながら膨張していくのを抑えようとしても抑えきれないといった印象でした。

 空港からホテルまで乘ったタクシーがものすごいスピードで他の車の間を縫って走り抜けていったので怖くてどきどきしました。たまたまそういう运転手に当たったのかもしれませんが、高度経済成長時代の日本のタクシーが“神風タクシー”と呼ばれていたように、なるべく早く客を回転させて、なるべくたくさん儲けたいという意識が強く働いてるのかな、と思いました。
 その後、ホテルでも商店でも道を尋ねても、皆何か“急いでいる”といった風で、立ち止まってゆっくりと人の話を聞く、という余裕がなく、もともとスローペースの私はおろおろとすることが多かったです。
 あるタクシーの运転手は、
「上海はすばらしい。最高。ものすごい発展を遂げてる。西洋の国と同じ、もう全然社会主義じゃないよ。」
と言っていました。私が、
「今と昔とどちらがいい?」
と聞くと、
「もちろん今さ。全然比べ物にならない。」
と、今の上海を誇っていました。一昔前に海外に移住した运転手の妹も、中国がこんなに変わると知っていたら国を離れなかったのに、と今では後悔しているそうです。
「でも、皆すごく急いでいるみたいで、昔のほうがもっとゆったりしてたと思うんだけど。昔には昔のよさがあったと思う。」
と、私が言うと、运転手は、
「そうだね。今は皆、“拼命地赚钱”(死に物狂いでお金を稼ぐ)だからね。」
と言っていました。
 运転手が言うには、よく上海で働いている日本人を乘せるけど、やっぱり皆上海がよくて、日本には帰りたくないと言っているそうです。
 私が思うに、そういう日本人はおそらく大きな企業の駐在員で、日本人ばかりが住んでいる高級アパートで日本にいる時よりもずっと広い部屋に住み、常にお抱えの运転手付きの車かタクシーで移動して、日本にいる時よりおいしくて高い料理を食べ、日本語の通じるバーで飲み、付き合う中国人も富裕層で、といった生活を享受している人たちなんじゃないでしょうか。そうじゃなくて、中国で地方に住んで、中国人の労働者を使って工場で働いてたりしたら、どんなにか疲れてどんなにか大変だろうと思います。これは私の勝手な想像ですが。

 私は、大勢の人が集まりまた去っていく “駅”が大好きです。今回、空港、列車の駅、長距離バスの駅、と3種の駅に立ち寄る機会がありました。それぞれの交通機関を利用する層が異なることに気づきます。
 上海・北京間の平日午後6時発の国内線飛行機に乘った時は、私の隣の席その隣と、二人ともが30代くらいの女性で、飛行機が水平飛行に入るのを待ちかねるように二人とも急いでパソコンを開き、仕事を始めていました。他の乘客もビジネスマン風のスーツ姿が多く、ブランド物のバッグや見るからに上等そうな服装が目立ちました。外見からは東京・大阪間の機内と見分けがつかないんじゃないかと思うくらいです。満員の座席で、それがきっちり1時間に1本、飛んでいます。キャビンアテンダントもその美人度、サービス態度とも静岡・上海間の国際便よりよほど精鋭ぞろいといった感じでした。
 次は短距離の高速列車です。日本の新幹線とほとんど同じような作りで、1等のグリーン車と2等の普通車に分かれています。乘客の身なりは総じてこざっぱりはしていますが、飛行機内の人たちよりも層が少しばらけて様々な職業、年齢の人が混じり、ざっくばらんな雰囲気が伝わってきます。上海や北京の駅では高速列車の乘客の専用待合室があったのですが、天津ではそれがなく、広い駅の待合室は大きな荷物を抱えた列車に乘る人たちでいっぱいで、雑然とした雰囲気に包まれていました。
 そして長距離バスターミナルです。嘉興という田舎町のバスターミナルの様子は、私の知っている何十年前の中国とちっとも変わらない光景でした。ターミナルの待合室は四角いコンクリートの箱のような建物で、特産品の土産物やちょっとしたおもちゃ、軽食を売っているカウンターがあります。利用する人たちはごく普通の田舎の人たちで、身なりも上海や北京の大都会の人たちのおしゃれな様子とはずいぶん違います。でもなんとなくのんびりとした雰囲気で、都会とは違った時間が流れているように感じました。

 大都市の駅前にはいろんな人がいて犯罪に巻き込まれることもあるので気をつけるようにと旅行前に何人かの知り合いから警告を受けていました。夜8時すぎに切符を買う都合で上海駅を訪れたのですが、老若男女、地方から来たたくさんの人たちが駅前に集まり行ったり来たり、大きな荷物を傍らに置いて座りこんでいたり。
 大きな荷物を担いだ夫婦連れが警官と大声でケンカをしていました。よく聞き取れませんでしたが、身分証がどうとかこうとか。どちらもなかなか引こうとしません。
 上海の地下鉄改札口でも警官と老婆が怒鳴りあう姿を目にしました。警官の威圧的な口調とよく通る太い声は恐ろしいもので、私などそばで耳にするだけで身が縮む思いがするというのに、その警官に向かって小さな老婆がどうしてああも負けずに正面切って文句を言えるものか、たいしたものだと感心します。

 上海南駅の地下で、構内の地図をじっと見ていたら、30後半から40代くらいの男性に声を掛けられました。身なりは上等ではないけれど清潔で、口調も物腰も穏やか、人に警戒心を起こさせるようなところはありません。ところが、その彼が、子どもに食べさせるものがないので10元(日本円で140円)恵んでもらえないか、と整然とかつ熱心に言うのです。彼の指す通路の向こうには赤ん坊を抱いた女の人が立っていました。私は突然のことにびっくりして、一瞬どうしたことかと迷いました。でも10元差し出すことには抵抗がないとしても、他人の前で鞄から財布を出すことに直感的に大きな抵抗を感じました。それで、わざとたどたどしい中国語で、私は外国人なのであなたの言ってることがよくわからない、と言ってみました。相手は私の言うことには全然構わず、熱心に同じ説明を繰り返します。私は手を振って急いでその場を逃げるように立ち去りました。
 もし本当に困っているならやっぱり10元くらいあげるべきだったのだろうか、と後から考えました。それで知り合いに聞いて見ると、それはプロなのだそうです。そういう手口でお金を得ることを生業にしているのだそうで、渡さないで正解だったらしい。

 日本で中国の経済発展の様子や中国人観光客の太っ腹な金遣いの様子がしばしば報道されるので、私の両親なども中国はもうすぐ日本を追い越してしまうだろうなどと言います。そうすると、夫は、まだまだ、今の中国は日本より30年遅れてる、と言うのですが、両親は、まさか、とその言葉を信じません。私も、30年はオーバーだろう、と思っていました。でも、実際見てみると、ああ、やっぱり30年だ、と思います。
 都市の住民と農村の住民の生活水準の差異、生活の便利さの差異、職業による収入の差異、持てる者と持たざる者との差異。先進国と発展途上国との決定的な差は、国民のひとりひとりが法と均一の環境(設備)の下に、ある一定の水準以上の生活を公平に平等に保証され得るかどうかだと思います。中国は発展途上国です。にもかかわらず、最近世界各国が中国を大国として扱おうとするのは、大国としての責任を中国に負わせようとしているからで、そういう各国からの圧力に対して、中国は国際的な力を強めるために大国らしく振舞わざるを得ない一方、発展途上国としての優遇も受けなければまだまだやっていけないという矛盾に苦慮していると聞きました。
 鄧小平は「先に富める者から富む」と言って経済開放政策を進めました。そのおかげで、中国は大きな経済発展を遂げ、市場にはさまざまな物が溢れ、高速幹線道路、大都市の交通機関など昔とは比べ物にならないくらい便利に豊かになっています。しかし、もうそろそろ富める者の富は足りつつあって、国民全体の生活水準の底上げと福祉に力を注ぐときなのではないかと思いました。
 今日急激な変化を遂げた中国がこれから更にどんなふうに変わっていくか、ますます楽しみです。

夜の上海駅


 
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