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大きな日本人は小さな世界に住む-続き-

(2009-10-28 05:02:05) 下一个
 
 10月17日にこのブログで紹介した『大きな日本人は小さな世界に住む』と題されたドナルド・キーン氏のインタビュー記事について、引き続き考えてみた。

 「実は、個人主義について、本当は分からない。何か大きな危機があると、個人主義を忘れるのではないか、とも思います。…日本人は深いところで、それほど変化していないと思うのです。」

 ある種の“日本人の好み”は変わらない。
 「国際化が進んでも、日本人は自国意識が外国人に比べて強いと思います。日本人の好きな色を見ても車は白、黑、灰色が圧倒的です。原色は少ない。若い人が赤い服を着ても、髪の毛を緑に染めても、車の色の好みは変わらない。」

(「」内は引用)

 これはとても興味深いことだと思う。日本は異国のいろんな文化を学び取り入れてきた。新羅、百済、隋、唐、葡萄牙、和蘭、ドイツ、アメリカ…。でもそれらの核にある日本人としての自意識は天岩戸の時代から変わることなく綿綿と引き継がれてきたとしたら?取り入れた異国の文化は外皮であって、その内側の血と肉には辺境の素朴な農耕民族の力が脈々と生きているとしたら?むろんそれが悪いってわけじゃない。ただ、あたかも日本が、日本人がすっかり国際化されて外も内もなくなったかのような錯覚をするより、かたくなに強く自国意識を持ち続けている私たちを自覚したほうがいいんじゃないかと思ったりする。
 「何か大きな危機があると、個人主義を忘れるのではないか」という恐れを常に忘れずに脳裏に刻み付けておくほうがいいんじゃないだろうか。
 あるいは、ドナルド・キーン氏がインタビューの最後に「日本人、特にものを書く人には古典文学を読んで欲しい」と語ったように、外形だけの「和風」文化ではない、日本人としての自意識を支えている核の部分の力を増強したほうが逆に世界に通用する民族としての力、生命力を発揮できるんじゃないだろうか。
 外皮として身につけた新しい文化と、血であり肉である民族としての自意識と、両方が上手く平衡を保つことができれば安定と平和がもたらされるが、そうでなければバランスを失って不安定になった精神は表皮を簡単に脱ぎ捨てるかもしれないと、私は恐れる。

 「個人主義を忘れる」ということは必ずしも悪いことだけじゃないとは思うけれども。

 
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