个人资料
正文

世界の相対性~森鴎外、夏目漱石、村上春樹~

(2009-06-30 23:51:10) 下一个
 
 村上春樹の『1Q84』をようやく読み始めた。読み始める少し前、最近近代文学の講義を受けた友人からとても興味深いメールを貰ったので、その一部をここに抜粋する。小説を読み解く手がかりになるのではないかと思う。

 講義は、『1Q84』の2巻の帯文「心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を造りあげていく。」の解説から始まりました。
 先生が話したことをそのままうまく伝えられませんが、村上春樹は、「風の歌を聴け」以来提示し続けてきた世界認識、すなわち、主体(自己)と客体(他者)の関係から存在する「世界」が絶対性のものではなく相対的なものであることを、今度の作品で、極めて自覚的に、また使命感を持って発表したとのこと。帯文でそのことを明確に伝えているとのことでした。(世界の複数性、主体が客体との関係で極度にゆがめられると別の世界が存在する…)
 そして村上春樹の認識は、鴎外、漱石が問題にしてきたことと全く一緒であること、すなわち鴎外は、「舞姫」で太田豊太郎の「昨日の是は今日の非なり」の言葉に象徴されるように主体と客体の関係及び、世界の存在の相対性、虚構性(虚偽性)をはっきり意識していたが、漱石も同じように捉えていたし、芥川、太宰、川端、三島もみなそうだった。(これと対抗する立場が、花袋、藤村、志賀らの自然主義の系譜。彼らは主体の絶対性を主張した)そして村上春樹の文学は確実に、鴎外、漱石に連なるとのことでした。

 『1Q84』はまだ読み終わらない。読み終わっても咀嚼に時間がかかりそうなので感想はまたしばらくしてから。

 
[ 打印 ]
阅读 ()评论 (0)
评论
目前还没有任何评论
登录后才可评论.